一行が那古野まで出迎えた滝川一益の手の者に前後を守られ、清洲へ入る頃から城下の人々が本町門の前にむらがって、行く手がふさがるほどであった。 今川義元を討ち取って旭日
の威を張る織田尾張守信長のもとへ、岡崎の松平蔵人元康がやって来た ── そう聞かされると、この城下では誰の耳にも降参してご機嫌をとりに来たとひびくのだった。 「あれが六つのときに熱田へ人質におかれた松平元康じゃ、結局その頃からおん大将の家来になるように約束されていたのだろう」 「そうよ。信長さまは、よく二人で遊ばれたものだそうだな。あの頃からおん大将は違っていたからの。度胆ををぬいておいたのだろう」 「それにしても、馬の上でなかなか威張っているではないか」 「どうせ城へ入ればペコペコするのだ。威張らせておくがいいさ」 戦勝国ではしぜんに民衆までがはばかることを忘れている。相手を軽んじたささやきが耳に入るたびに、真っ先の本多平八郎忠勝は、 「ええ退けッ!
退おろうぞッ」 と、群集をねめつけた。十五歳だがすでにその逞しさは衆を抜いている。それが刃渡り三尺にあまる大薙刀
を時々頭上で振り回した。 「退けというのが聞こえぬか。三河のあるじ松平元康さまのお通りじゃ。無礼しやると、シャッ首空へはねあげるぞ」 元康はそうした忠勝を叱りもしなければ止めもしなかった。城越しに見える愛宕
山 の森へ穏やかな視線を投じて、馬を本町門の前にとめた。 そこまで滝川左近将監一益がうやうやしく出迎えていたからだった。 「松平蔵人元康が家臣本多平八郎忠勝先供
つかまつる。無礼があると容赦はせぬぞ」 平八郎はその一益の前でも、雷
のような声でわめいて、一振りおお薙刀を振り回した。 一益は微笑してそれの答えた。 「遠路ご苦労でござった。一益これにあればご安堵めされ」 「なかなかもって安堵はできぬわ。尾張には狐が多いと聞いているゆえ」 万一元康に手出しすれば、一同斬り死にの決心を、かたく相手に知らせておこうとする平八郎だった。 一益はそれが分っているだけに、馬から降りた元康にまたいんぎんに頭を下げた。 群集は奇異の感に打たれている。降参してやって来た人にしては、織田家の方が丁寧
すぎると思ったのだろう。 門を入って上畠
神明社 の近くまで進むと林佐渡をはじめとして、柴田
勝家 、丹羽
長秀 、菅谷
九朗右衛 門
などの重臣が、ずらりと並んで出迎えた。 これもまたお供の三河衆が首をひねるほど丁寧をきわめている。宿所に定められた二の丸へ到着すると、信長が大玄関に立っていた。 信長は元康の姿を見ると、 「おおよくぞ来られた。残っているぞ幼な顔が、残っておるぞ」 いつもの信長らしくなく、心から待ちもうけた人のように声をかけた。 元康はきちんと姿勢を正して一礼した。 この玄関を入ることは元康にとって妻子の生命を賭ける事であった。これが駿府へ聞こえたら小心な氏真は、瀬名も竹千代も串刺しにしかねまい
── そう思うと、笑おうとして、笑えぬ今日の元康だった。 |