二つある矢
狭間 も、四つある鉄砲狭間も荒れていた。駿府からの留守居にすれば、わが本城ではないので、自然手入れもおろそかになろう。 平地より四間五尺の高さの石垣には夏草がおびただしく根を張っていたし、多門の先の二階門の屋根には雀の巣らしいものがあった。 しばらくそれをながめていて、元康は足早に多門をくぐった。このうえここにとどまると、みんなに涙を見せそうな気がしたからだった。 なるほど城内はひっそりして、どこにも軍兵の姿はない。八幡曲輪の土蔵前も、二の丸の土蔵前も、退城前の周章ぶりをそのままあたりに残している。 八幡曲輪
(本丸) 、二の丸、持仏堂曲輪、三の丸と見てゆくと、この城を建てた祖父清康の姿が眼先にちらついた。 祖父の清康は二十五歳で死んでいるのに、これだけの城を残していった。 城内の侍屋敷は百五十八軒。 侍長屋十二棟。 足軽小屋四百五十一軒。 足軽中間
長屋三十四棟。 二十六ヶ所に井戸をうがち、周囲一里三町にわたる城の構えは、人生の半ばにして死を迎えた人の構えとしては決して小さなものではない。 元康は
「あと六年か・・・・」 ふっと祖父と自分の年齢の差を口にして、自分はそのまま八幡曲輪に入っていった。 ここは戦死した吉良御前の良人、飯尾豊前守が出陣前まで住
まっていた場所だった。 ここだけはさすがに掃除は行き届き、大広間の畳も破れていなかった。 「殿が城へ入られた・・・・」 そう聞いて、城の内外に居住を許されていた者の家族たちは、わが良人や子供を迎えた以上に沸き立った。 ただ入って来た男たちの方がなかなかそれを信じられず、すぐ武装を解こうとする者はない。 大久保老人の指図でそれぞれの門へは番卒が配られ、庭へはかがり火がたかれていった。 いつ野武士に襲われて、田中勢が引っ返さないものでもなく、空城と知って夜盗が襲撃して来ないものでのない。かがり火は取りも直さず、松平蔵人佐元康を誇示して新しく立てた旗を意味する。 大広間へ老臣、重臣打ちつどって、心ばかりの祝膳についた時はすでに五ツ半
(九時) だった。 三の丸へ出入りして年貢
の奉行を命じられていた鳥居忠吉老人の貯
えで、燭台の灯も明るかったし、酒肴も形ばかりはととのった。 老人自身こんどは遊軍の大将で戦って来たあとなので、まだ胴丸をつけたままであったが、みんなが居並ぶと、真っ先に老人は杯を持って元康の前へ進んだ。 「お流れちょうだいいたしとうござりまする」 元康は注がれた杯をおしいただいた。 「うまい!」
と言って老人へさすと、そのころから大広間はすすり泣きでいっぱいになった。 鳥居老人はこんどは自分と年齢の近い大久保新八郎忠俊の前へいった。 「お互い生き残ってよかったのう」 鳥居老人がそういうと、 「うまい!」
大久保老人は顔をゆがめた。 「涙を飲むのではないわい。酒を飲むのじゃ。このおれは・・・・」 そして一口飲むと手放しで、ウワーッと狼の吠えるような声で泣いた。
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