大久保新八郎の泣き上戸
は知れわたっていたが、それにしてもあまりにもその声が大きかった。 「山中の狼が泣きおったわ」 石川安芸
がそう言うと、 「泣いたのではない、ほえたのじゃ」 老人はそう言い返してもう一度大きくほえ、それから思い直したように杯を干した。 「これは山中の狼めのめでたい時の歌でもある。おぬしたちも肴をやられい」 つぎは阿部
大蔵 。この老人はうやうやしく杯を押しいただいて元康に黙礼したが、ただわなわなと唇が震えるだけでついに言葉は出なかった。 石川安芸が、いちばんはっきりと元康に挨拶した。 「殿!
長い間のご堪忍 、そのかいがござりました。これからも、関口
御前 や若君が駿府にあらせられまする。決して軽々しくなされませぬよう。いただきまする」 その次に坐った植村新六郎は本多の後家の父であり、祖父の敵
と父の敵とを、その場を去らせず討ち取った、松平家にとっては忘れ難い強勇律儀
の人であった。 彼は杯が来ると、 「おさかなつかまつる」 そう言ってあやしい手振りで 「鶴亀」 の一節を口ずさみながら草ずりを鳴らして一さし舞った。 みんは戦は上手であったが、歌や舞はひどく不得手で、しんとして見ているばかり。 「せっかくの肴に手もたたかぬ張り合いのない人たちじゃ」 むっつりとして座に着くと、パチパチと、時期はずれの手をたたいたのは末座の長坂
血 鎗九朗
だった。 「面白い。やんややんや。何のことかわからぬが、やんや、やんや」 こんどは杯は酒井雅楽助のところに回った。雅楽助は杯を手にすると、どっとあふれる涙で、何も見えなくなったしまった。 元康の生母、於大の方の嫁いで来る頃から、元康の生まれた時、於大の方の別離の時、先代広忠
の死去の時と、あまりに思い出が多すぎた。 そして今こそ嘘ではなしに、十九歳で立派に武将の面影
を備えた元康が、わが城の大広間に、どっかりと坐っている。 それはいかにも重厚な、すわりよい巨石でも見ている感じで、先代広忠のあの神経質な危うさは少しもなかった。 「それがしは・・・・」 一杯を押しいただくと雅楽助はそれを持ったまま籠手
で涙を拭いて言った。 「殿にはお祝いは申し上げませぬ。ご先代さま、ご先先代さま、おめでと存じまする・・・・また阿古居におわすご生母さま、駿府に眠らせられる華陽院さま、ごらん下さりませ、元康さまはわが城にどっかと坐ってござりまする・・・・おめでとう存じまする」 元康はたまりかねて顔をそむけた。 雅楽助に、忘れ得ぬ人々を数え立てられて、彼もまた、改めてここがわが城であったことを味わい直した。 (そうだ!
これからわしはやらねばならぬ! わしを柱として、助けてくれた家人のために) 元康は泣く代わりにニコニコと笑ってうなずいた。 (今日がわしの二度目の誕生日。みな見ていてくれ。これからの元康の働きぶりを。一度死んで、大きな無の上に立ちはだかった元康を) |