〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/24 (火) 再 会 (七)

元康が無事に大高城に帰りつくまでは、岡崎衆は身をけず る想いで待った。
そもそも義元が、鵜殿長照に代わって元康に大高城の番手を命じ、人馬を休ませよと言ったのからすでに怪しいと老臣たちは考えていた。
この領内深く入った孤城は戦の様相によっていつ死地に変わるかわからなかった。
それを知って休養せよと言い、
「── もし織田の主力が大高に攻め寄せなば、亡命苦しからず」 と言い添えたのが義元の命であった。
「これはわれら味方を滅ぼす手だて。ご油断ゆだん はなりませんぞ」
織田の主力と決戦して亡命したら、岡崎衆は全く拠るべき所を失う。言い変えればそれは今川方不利な場合の、さらに後々まで考え抜いた義元の奸計とも思える。そんな場合に、元康は城を出て生母於大の方を訪ねると言い出したのだから無理もなかった。
植村うえむら 新六郎しんろくろう は、
「もってのほかのこと。留守に攻め寄せられたら何としまする」
おもて をおかしていさ めたが、元康は笑ってこれを退けた。
「敵にも味方にも思いがけない時こそ対面の好機なれ。心にかけるな。今川の本隊無事にある限り、大高などへ主力を向ける信長ではない。元康にはもっと深い考えあってのこと」
そのもっと深い考えとは何であったろうか。もし万一の場合に亡命する場所を・・・・と考えて久松佐渡や、水野みずの 下野しもつけ などの肉親と連絡をつけておく気かも知れない。そう思ってそう思って送り出したのだが、途中でひどい豪雨になり、なかなか戻って来なかった。
それだけに暮れ方になって無事に城へ帰りつくと、老臣たちははじめてホッと胸をなでおろした。
今は義元の到着を待つばかり。
「城門の固めをきびしくして、城内にはかがり火を き、今のうちに炊爨すいさん せよ」
元康が奥へ通ると、酒井さかい 雅楽助うたのすけおお 久保くぼ 新八郎しんぱちろう とはみずから固めを見て回り、それから炊爨を許した。
そうした大高城に義元討ち死にの風評が伝わり、最初にそれを耳にしたのは、城の外に陣取っていた天野あまの 三郎さぶろう 兵衛ひょうえ 康影やすかげ だった。
だが康影はそれが信じられず、石川いしかわ 清兼きよかね に申し出た。石川清兼はすぐに噂の出所をただすように命じて、まだ元康の耳には入れなかった。
ところが、いよいよ誰彼の顔も見分け難い時刻になって、まっすぐに城の大手へ乗りつけて来た武者があった。
「何者だっ!」
正門を固めていた大久保老人が大喝だいかつ すると、馬上の武者は馬から降りて、流れる汗を拭きながら、
「水野下野守信元のぶもと の家臣、浅井あさい 六之助ろくのすけ 道忠みちただ 、元康どのに直々じきじき 申し上げたい儀があって使者に参った。まかり通る」
と、息をついた。
「だまれっ。水野下野はわれらが敵、敵の家来をぬけぬけ通してなるものか」
「これはしたり、われらが主人は敵味方にわかれるとも元康どのは伯父おじ おい の間柄、密命をおびた使者でござるぞ。もしご心配ならば、ご貴殿、われらがそばにつき添い、怪しいふしあらば、その折にこそ斬るがよい」
よど みなく言い立てられて、大久保忠俊ただとし はフフンと笑った。
「話に骨がある。取り次ぐ、待たっしゃれッ」

徳川家康 (四) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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