久松佐渡ははじめから元康に一目
おいた。松平家の当主としてよりも、初陣
以来の元康の実力をいかにも好人物らしく噂
のままに買っていた。 祖父の清康
と何れの器量が上であろうかと、すでに人々は評しはじめているそうな。 「縁につながる者どもゆえ、よろしゅう頼みまする」 三人の子どものことを言われると、元康もまた大きくうなずいた。 「いずれ、心を協
せて働かねばならぬ時が参ろう。その折には三人とも松平を名乗ってよい。わしは肉親は少ないゆえ」 夕立はなかなか去らなかった。この豪雨では義元も本陣をすすめ得まい。 といって、義元到着のおりに、城を空けてよいはずはななった。 「なかなか晴れぬ。足止めの雨になった」 ようやく雨脚
の細りをねらって阿古居の城を出たのは八ツ (二時) 近かった。 於大は佐渡ともども大手前まで送って来た。 「いずれまた・・・・」 会えるか会えぬかは、口に出せない乱世の別れであった。元康は街道へ出てから、何度も馬上から見送っては手をあがて去って行った。 八ツ半には雨はあがっ。が、雲はまだ頭上を去らず、そのまま夜になりそうな暗さであった。 於大は自分の居間に戻って二人の子に、あれこれと元康のことを聞かせていた。元康が幼い折りに長福丸とそっくりだったことを告げると、三郎太郎と源三郎は、わざわざ寄って来て改めて長福丸をあやしたりした。 そこへ血相変えた良人
が走りこんで来たのは七ツ (四時) 近かった。 「御前!おどろくまいぞ」 佐渡はそういうと、そばに子供がいることも忘れて、 「駿府の屋形が、殿に討たれた!」 「え!?」 於大は一瞬それが呑み込めず、 「駿府のお屋形が・・・・」
と言いかけて、 「それはまことでござりまするか」 「わしも信じられなかった。が、もはや疑う余地はない。清洲
の殿は、真っ先に義元の首をかかげて馬を駆り、ときの声をあげて清洲へ引きあげていったという・・・・注進の者が二つの眼で、はっきりそれを見て来ている。どえらいことじゃ」 「信じられませぬ。いったいどこで?」 「田楽
ヶ窪 から桶狭間
へかけて血の海になったという。さもあろう。五千の大軍がみな殺しになったのじゃ」 「それで・・・・それで大高城は?」 「そのことじゃ。ひとまず首をかかげて清洲へ引き揚げられた。とはいえ、あのご気性の清洲の殿、今夜はとにかく、明日にもならば勝ちに乗じてひともみに・・・・」 揉
みつぶすであろうと言おうとして、思わず口をつぐんだのは、その城に入っている元康が、すぐさっき、ここを辞していったばかりの於大の子 ── と気づいたからであった。 於大は眼をつむった。 織田家
のために喜ぶべきこの勝戦が、またしてもわが子を死地へ追いやった。 織田の全勢力であたられては、なれぬ小城で鬼神といえども勝ち得まい。 「殿!」 眼をつむったまま於大の声は絞
るような切 ないひびきをもっていた。 |