〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/24 (火) 再 会 (五)

久松佐渡ははじめから元康に一目いちもく おいた。松平家の当主としてよりも、初陣ういじん 以来の元康の実力をいかにも好人物らしくうわさ のままに買っていた。
祖父の清康きよやす と何れの器量が上であろうかと、すでに人々は評しはじめているそうな。
「縁につながる者どもゆえ、よろしゅう頼みまする」
三人の子どものことを言われると、元康もまた大きくうなずいた。
「いずれ、心をあわ せて働かねばならぬ時が参ろう。その折には三人とも松平を名乗ってよい。わしは肉親は少ないゆえ」
夕立はなかなか去らなかった。この豪雨では義元も本陣をすすめ得まい。
といって、義元到着のおりに、城を空けてよいはずはななった。
「なかなか晴れぬ。足止めの雨になった」
ようやく雨脚あまあし の細りをねらって阿古居の城を出たのは八ツ (二時) 近かった。
於大は佐渡ともども大手前まで送って来た。
「いずれまた・・・・」
会えるか会えぬかは、口に出せない乱世の別れであった。元康は街道へ出てから、何度も馬上から見送っては手をあがて去って行った。
八ツ半には雨はあがっ。が、雲はまだ頭上を去らず、そのまま夜になりそうな暗さであった。
於大は自分の居間に戻って二人の子に、あれこれと元康のことを聞かせていた。元康が幼い折りに長福丸とそっくりだったことを告げると、三郎太郎と源三郎は、わざわざ寄って来て改めて長福丸をあやしたりした。
そこへ血相変えた良人おっと が走りこんで来たのは七ツ (四時) 近かった。
「御前!おどろくまいぞ」
佐渡はそういうと、そばに子供がいることも忘れて、
「駿府の屋形が、殿に討たれた!」
「え!?」
於大は一瞬それが呑み込めず、
「駿府のお屋形が・・・・」 と言いかけて、
「それはまことでござりまするか」
「わしも信じられなかった。が、もはや疑う余地はない。清洲きよす の殿は、真っ先に義元の首をかかげて馬を駆り、ときの声をあげて清洲へ引きあげていったという・・・・注進の者が二つの眼で、はっきりそれを見て来ている。どえらいことじゃ」
「信じられませぬ。いったいどこで?」
田楽でんがくくぼ から桶狭間おけはざま へかけて血の海になったという。さもあろう。五千の大軍がみな殺しになったのじゃ」
「それで・・・・それで大高城は?」
「そのことじゃ。ひとまず首をかかげて清洲へ引き揚げられた。とはいえ、あのご気性の清洲の殿、今夜はとにかく、明日にもならば勝ちに乗じてひともみに・・・・」
みつぶすであろうと言おうとして、思わず口をつぐんだのは、その城に入っている元康が、すぐさっき、ここを辞していったばかりの於大の子 ── と気づいたからであった。
於大は眼をつむった。
織田家おだけ のために喜ぶべきこの勝戦が、またしてもわが子を死地へ追いやった。
織田の全勢力であたられては、なれぬ小城で鬼神といえども勝ち得まい。
「殿!」
眼をつむったまま於大の声はしぼ るようなせつ ないひびきをもっていた。

徳川家康 (四) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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