〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/24 (火) 再 会 (四)

雨の音と、於大のその後の子たちの足音に、元康はいっしょに気づいた。
岡崎の異腹の兄弟は二人あったが、一人は出家し、一人は病弱で、元康の身辺はさびしかった。
いや、淋しいと言えばそれは兄弟の有無よりも、駿府へ残した妻子のこと。今度の出陣はおそらく駿府へ元康を返すまい。勝てば家の子たちが、敗れれば運命が。
その淋しさが、元康にわざわざ母をたずねささた。父の異なった弟たちにしみじみとしたなつか しみを覚えさせているのもそのためらしい。
足音が次の間でとまると、
「おお!」 と元康は声をあげた。
母の血の強さであろうか。真っ先に立っている上の子は、元康の少年時代そのままだった。いや、その次のもよく似ている。そして三人目の子はむつき中で乳人めのと に抱かれているのであった。
「さ、入ってお客人にご挨拶あいさつ なされ」
また以前の柔らかさにもどった於大にうながされて、大きいのから順に元康の前に坐った。
「三郎太郎と申しまする。お見知りおかれませ」
「源三郎と申しまする。お見知り・・・」
「長福丸でござりまする」
むつき乳人ともども頭を下げると、於大がかたわらから言い添えた。
「三郎太郎から、これへ」
元康はまたしても土産みやげ をたずさえて来なかったことを悔いながら、大きいのから呼び寄せて出された菓子をつか んで与えた。
「源三郎か。はしこそうじゃ。いくつじゃな」
「はい。七つでござりまする」
「よい子じゃ」
源三郎が菓子をささげてすさってゆくと、元康は乳人の前に両手をのべた。
「長福と申したの。抱かせて見よ」
乳人はちらりと於大を見やった。於大がうなずくのを見すまして元康の手にもどり児を渡した。白の平絹のすそあい でぼかした産衣うぶぎ を着て、長福丸は二つの拳をおとがいの下へならべていた。視線をおおどかに客から天上へながしていった。
元康はどきりとした。
これはまた、何とよく駿府に残して来た竹千代に似ていることか。
(血筋は争われぬ)
その感慨と一緒に、またしても竹千代と再会する時の有無が頭をかすめていった。
母も十六年ぶりでわが子に会った。自分たち父子にもまた、そのような宿命がまつわるついていそうな気がする。
「よい子じゃ!」
元康はそう言っただけで、それが、竹千代に似ていることは洩らすにしのびなかった。
「どれがいちばん、元康の幼顔に似ていようか」
於大に笑顔をむけて長福丸を乳人にかえした。
「はい。長福がいちばん似ているように存じまするが」
「そうか、長福がの」
ホッと吐息をもらしたとき、
「えらい雨じゃ。竹林にあたる風がたばしるような音をたてている」
酒肴を用意させた久松佐渡守俊勝が、猪首いくび を前へおとした胴丸姿で入って来た。

徳川家康 (四) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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