〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/18 (水) 竜 虎 (六)

同じ日の早朝であった。
清洲の城の会所は、広々と畳を残して人影はまばらであった。
北側の長押なげし の下には大きく張られた掲示の紙が、庭から忍び込む風にわずかにゆれている。奥の館からは今日も小鼓が聞こえていた。
貼り紙には 「── 暑さきびしき折から、暑苦しい武装は堅く遠慮のこと」
と、書かれてある。これがひどくみんなを怒らせたり、がっかりさせたりして、諸将の登城を遅れさせている原因だった。
むろん、昨十八日中、鷲津、丸根の砦からは援軍を乞うて来ていたし、今となっては誰の目にも籠城するほかのなかった。
「── いかに剛愎ごうふく な殿であっても今日は指図せずにはおられまいて」
みんなは期せずして物々しい甲冑かっちゅう 姿すがた で登城したのが昨日だった。すると昼近くなって、小姓の岩室いわむろ 重休しげよし が紙をさげて奥から出て来た。
「── それッ、指図書ぞ」
誰がどこの城門を固めるのかとワーツと掲示の前へ寄ってみると、指図書どころかこの皮肉な貼り紙だった。
岩室重休は先殿せんとの寵姫ちょうき 、岩室殿の弟で、加藤図書助の甥である。
「── これ重休、何としたことぞこの貼り紙は?」
真っ先に林佐渡が叱りつけた。
「── 私は存じませぬ。殿の仰せでござりまする」
「── いかに殿の仰せとはいえ、敵はすでにひた押しに城へ迫っているではないか」
「── 迫ってもよい。暑いゆえ、これを貼ってやれ、みんなが楽になると仰せられました」
「── かかることで楽になれると思うのかッ」
言ってみたが、重休を叱ったところでどうなるものでもなかった。
みんなが顔を見合って嘆息した。胴丸をぬいで風を入れたが、涼しさよりは薄ら寒さがひしひしと身に迫った。
しかも夜になると、信長はかたびらの袖をまくった湯上り姿でやって来て、
「── 今宵こよい はみなそれぞれの家に引き取って休むがよい」
と、申し渡したのだ。
怒るよりも気が抜けた。何の必要があって、わざわざみんなの意気をこれほど沮喪そそう させるのか・・・・
「── ことによると、籠城・・・・死 ── と考えて、今宵だけの命ゆえ、家族と名残なご りを惜しむようにといういたわ りではあるまいか」
帰途の玄関先で吉田内記がそういうと、林佐渡は星を仰いで吐き出すように応じた。
「── いずれにしろ、滅亡じゃ。そのような思いやりはもう遅い」
それで今朝は、夜が明けきってもまだ数えるほどしか詰めて来ていなかった。
「また小鼓の音でござるの」
「今日はとりわけのどかじゃ。いまごろ、丸根の砦では戦いが始まっているのではあるまいか」
と、そこへのこのこと入って来たのは木下藤吉郎だった。彼はきりりと額に鉢巻を巻き、掲示の紙など眼に入らぬといった厳重な武装であった。
「方々、丸根の佐久間大学どの、松平元康に鉄砲で討ち取られたそうでござるぞ」
淡々と言ってそのまま小鼓の音のもれる奥の館に向かって行った。

徳川家康 (三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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