同じ日の早朝であった。 清洲の城の会所は、広々と畳を残して人影はまばらであった。 北側の長押
の下には大きく張られた掲示の紙が、庭から忍び込む風にわずかにゆれている。奥の館からは今日も小鼓が聞こえていた。 貼り紙には 「── 暑さきびしき折から、暑苦しい武装は堅く遠慮のこと」 と、書かれてある。これがひどくみんなを怒らせたり、がっかりさせたりして、諸将の登城を遅れさせている原因だった。 むろん、昨十八日中、鷲津、丸根の砦からは援軍を乞うて来ていたし、今となっては誰の目にも籠城するほかのなかった。 「──
いかに剛愎 な殿であっても今日は指図せずにはおられまいて」 みんなは期せずして物々しい甲冑
姿 で登城したのが昨日だった。すると昼近くなって、小姓の岩室
重休 が紙をさげて奥から出て来た。 「──
それッ、指図書ぞ」 誰がどこの城門を固めるのかとワーツと掲示の前へ寄ってみると、指図書どころかこの皮肉な貼り紙だった。 岩室重休は先殿
の寵姫 、岩室殿の弟で、加藤図書助の甥である。 「──
これ重休、何としたことぞこの貼り紙は?」 真っ先に林佐渡が叱りつけた。 「── 私は存じませぬ。殿の仰せでござりまする」 「── いかに殿の仰せとはいえ、敵はすでにひた押しに城へ迫っているではないか」 「──
迫ってもよい。暑いゆえ、これを貼ってやれ、みんなが楽になると仰せられました」 「── かかることで楽になれると思うのかッ」 言ってみたが、重休を叱ったところでどうなるものでもなかった。 みんなが顔を見合って嘆息した。胴丸をぬいで風を入れたが、涼しさよりは薄ら寒さがひしひしと身に迫った。 しかも夜になると、信長はかたびらの袖をまくった湯上り姿でやって来て、 「──
今宵 はみなそれぞれの家に引き取って休むがよい」 と、申し渡したのだ。 怒るよりも気が抜けた。何の必要があって、わざわざみんなの意気をこれほど沮喪
させるのか・・・・ 「── ことによると、籠城・・・・死 ── と考えて、今宵だけの命ゆえ、家族と名残
りを惜しむようにという労
りではあるまいか」 帰途の玄関先で吉田内記がそういうと、林佐渡は星を仰いで吐き出すように応じた。 「── いずれにしろ、滅亡じゃ。そのような思いやりはもう遅い」 それで今朝は、夜が明けきってもまだ数えるほどしか詰めて来ていなかった。 「また小鼓の音でござるの」 「今日はとりわけのどかじゃ。いまごろ、丸根の砦では戦いが始まっているのではあるまいか」 と、そこへのこのこと入って来たのは木下藤吉郎だった。彼はきりりと額に鉢巻を巻き、掲示の紙など眼に入らぬといった厳重な武装であった。 「方々、丸根の佐久間大学どの、松平元康に鉄砲で討ち取られたそうでござるぞ」 淡々と言ってそのまま小鼓の音のもれる奥の館に向かって行った。
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