〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/17 (火) 竜 虎 (四)

義元は起き出すとすぐに身支みじ たく にかかった。ふと りすぎているので籠手こてひも からすね てまで、何もかも近侍の手を借りなければならない。
具足をつけて上帯を締めるのは二人がかりであった。そしてそのころからまた噴き出すように汗が出た。蜀江錦の直垂など見た眼はいかにも壮厳であったが、暑さは内にこもって、着なれぬ者なら気が遠くなったに違いない。
それをきちんと着け終わって唐櫃からびつ に持参のひょう の毛皮を敷かせ、悠然と腰をおろしたとき、第一の注進が前線から届いて来た。
夜明け前に丸根の砦へ襲い掛かった松平元康の軍勢が、城門を開いて討って出た敵将佐久間盛重の勇猛にあって苦戦中だという知らせであった。
「何の盛重ごときが、元康に申せ。一歩も退くなと!」
義元の寝不足の眼には、はげしい光がよみがえった。元康危急の場合大高城より鵜殿長照が討って出て、ただちにこれを救援するよう手当てを命じ、自身も急いで沓掛を出発した。
時に五ツ (午前八時) すぎ。またしてもやって来ていた 「礼の者」 には会おうとせず、本隊は鎌倉街道をそのまま西に向かって粛々しゅくしゅく と進んで行った。
天候はいぜんきびしい。
梅雨を通り越して、そのまま孟夏に変わったような油照りだった。
「さしずめ一夕立ほしいという気候だな」
「これで今年はから梅雨と決まったぞ」
「風がないのがたまらない。このあたりに比べると駿府の気候はしの ぎよいな」
大将が厳然としているので、誰も彼もがきちんと具足を正している。
今日もいちいち斥候を出しては行く手の安全を見定めて進むのに変わりはない。その点では一点の杜撰ずさん さもない合理的な進軍だった。やはて一行は落合おちあい有松ありまつ の間にある大脇おおわき 、俗にいう田楽でんがくくぼ にさしかかった。

あぶりたる 山たちどもが 出で逢うて  串ざしにやせん 田楽ケ窪
後人がそう狂歌したこの窪は、有松を去る十八丁、鳴海駅の東十六丁ほどの位置にある。
南のおけ 狭間はざま まではこれも十七、八丁だった。
四方を小高い岡に囲まれたその窪へ入りかかったとき、また前線から注進が届いた。
松平元康の軍がはげしく敵を攻め立てて、ついに守将佐久間盛重をはじめ首級しるし 七つを挙げて潰滅かいめつ せしめ、丸根の砦を完全に占領したという知らせであった
「そうか、やったか!」
路傍に輿を止めて義元ははじめて笑った。
「元康が、そうか、それはめでたい。ただちに立ち戻って元康に伝えよ。本日の軍功抜群なり。よってただちに大高城に入って兵を休めよと」
そういった後でさらに、 「大高城にある鵜殿長照はその全勢力を挙げて清洲を くように」
今暁から働き続けた元康の岡崎勢を城へ入れて、新手あらて の鵜殿勢をただちに清洲へはせ向かわせる。それは一分の隙もない元康の用兵ぶりだった。
「輿をあげよ。陽のあるうちにわららも大高城に入らねばならぬ」
義元がそう言った時、また前線の注進と 「礼の者」 とが一緒に輿脇へ案内されてやって来た。
時に四ツ (午前十時) すぎ、そろそろ昼になろうとしている・・・・
徳川家康 (三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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