翌日 ── 万松寺の境内ではすでにぽつぽつと花が咲いていた。その下を濃姫は思い心で歩をはこんだ。 信長は、昨日の午後に
「迷いを断った!」 と、太刀を振ってから、そのままいずれかへ出かけて行って、今朝はついに会えなかった。 たぶん古渡の城の最後の打ち合わせに望んだのであろうが、自分の手で今日の葬儀の肩衣
や袴など着けてやれなかったのが淋しかった。 いや、淋しさはそれだけではない。美濃の父が、こんどこそ出かけて来るのでは・・・・そう思っていたのに、一片の弔問
だけで、依然として織田家を狙う鷲
の一羽であるらしいことであった。 父はむろんなつかしい。だが、今では心の底から良人も愛
しかった。その二人が、しょせん溶け合えぬ水と油であろうとは・・・・ 濃姫の姿を見かけて、信秀の側用人だった五味
新蔵 が、 「美濃御前さまご到着!」 手にした焼香の順序書に筆で印をつけながら案内に立った。 すでに本堂へは家中の人々がいっぱい詰めている。濃姫はうつむきがちに数珠
をつまぐりながら、喪主の信長のまうしろに導かれた。喪主の信長の席はまだ空席のままだったが、その次に控えた勘十郎信行は、折目高
の袴に、きちんとした肩衣をつけて、丁寧に濃姫に目礼した。 濃姫はこれも目礼をかえして座に着いた。 信行の次には同じく嫡腹
の三男喜十郎 、その次には三歳の姫於市
。信長をまじえてこの四人だけが、正妻土田御前の子であった。 於市の次にはかって安祥城主だった庶腹
の長子三郎五郎信広、次が信包
、喜蔵、彦七郎、半九朗、十郎丸、源五郎と生まれた順に居並び、最後にまだむつきのままの又十郎が、岩室殿に抱かれてチュッチュッ音を立てて拳
を吸っていた。 そしてその列の次には、濃姫、土田御前とおいて、庶腹の姫が十二人。三列眼に十人を越える側妾の列が作られている。 幼い遺子の多い葬儀だけに、ひとしお悲愁の漂うはずなのに、庶腹の姫から側妾の列になると、それは皮肉にもお花畑の感じであった。 濃姫はうつむくたびに涙が出て止まらなかった。表面ではこれだけ盛大な葬儀なのに、内心はそねみと憎しみとが蛇のようにからみあったいる。 遺族の席に隣り合って、本家の清洲城主、織田彦五郎と、織田家の主筋
・・・・といっても今は已に実力を失って清洲の食客に転落している名門の当主斯波
義統 が、いかにもおごそかな顔をならべ、そのあとに、一族、家老の重臣たちが威儀を正していた。 役僧の手で燭台に灯が入り、香が燻
ぜられると、やがて導師の大雲和尚を先頭にして、海道の上下から集められた会下僧
の列がくりこんだ。 その数およそ四百。 自分が建立した寺で、これほど盛大に供養される信秀は、果たして歓喜の仏果
をつかみ得ているのだろうか・・・・? 正面に立てられた万松院桃岩道見大禅定門の白木の位牌
を、灯明の灯があかるく照らし出したとき、人でうずまった広大な仏殿におごそかな読経
の声がわきあがった。 |