織田の家中は信長へのきびしい反感を秘めたまま、備後守
信秀の葬儀をとり行うこととなった。 時は天文二十年 (1551) 三月七日。 場所は十一年前に信秀自らの建立
による那古野村の亀岳山万松寺、導師はこれも信秀自らが開山として招いた大雲和尚と決まった。 だが、新しく本家の受領名、上総介
を継いだ信長は、ほとんどその協議の席に顔を見せなかった。 林佐渡と平手中務
とが、互いに胸を探りあいながらとにかくとにかく表面の波風をかくして、信秀の葬送だけは終わりそうな気配であった。 問題はむろんその後にあった。 柴田権六、佐久間右衛門、同弟の七朗左衛門、林佐渡、佐久間大学、山口左馬助、都築蔵人などのほかに、信長の伯父にあたる土田下総から、妾腹の姉をめとっている新保安芸、織田信清までが、信長こそは織田家を滅亡に導くものといきり立っている。 (もし葬儀の後でこれらの一味が騒ぎ立てたら・・・・) そう思うと信長の胸は痛んだ。 父を岩室殿から引き離し、早く本城に戻らせようとしたのもそのためだったが、今川家ではすでに万全の策を備えて、じりじり尾張を圧迫しだしている。 信長の見るところでは、鳴海
城主の山口 左馬助
父子などすでに、その圧迫に耐えかねて、ひそかに敵に通じているかの気配さえあった。 安祥
は取られ、桜井 もまた敵の手中にある。今川方では名うての武将、葛山
備中守 氏元
、岡部 五郎兵衛
元信 、三浦
左馬助義就 、飯尾
豊前守顕? 、浅井
小四郎 政敏
などが、鳴海の城と相対してしきりに砦
を築いている。 したがって信秀の死が家中の乱れを招いたら、得たりかしこしと攻撃に移るに違いない。 いや、それだけならば、まだまだ信長には自信があった。しかし、そうなると濃姫の父斉藤道三が黙っているはずはなかった。 「──
わしの大切な婿殿 を廃嫡
するとは何事ぞ!」 口実は信長援助で、すぎに兵を尾張に入れ、今川氏と寸土を争うことになろう。 明日はいよいよ葬儀という六日の午後だった。 「濃!
刀 ──」 信長はそれまで、ごろりと横になって、鼻毛を抜いたり、爪を噛んだりしていたのが、いきなりパッと跳
ね起きた。 濃姫はびっくりして、刀架の太刀をとって渡した。 「濃!」 「はい」 「見よ。いまこそ信長が、迷いを断つ!」 声と動作はつねに一緒。パッと諸肌
ぬいだと思うと、信長の体はいなごのように庭へ飛んだ。 ふぁが、太刀は抜かなかった。焔
の立ちそうな眼を、くわっと大きく見開いて、空を睨んだままだった。 濃姫は息が詰まりそうになった。彼女にもまた信長の苦しさはよくわかる。家中の騒動に、今川、斉藤の両家が加わると、勝っても敗れても信長の立場はなかった。十九歳にして、織田上総介信長は、松平竹千代と同じ運命の孤児になろう。 「えっ!」 四尺の秋水が鞘
走った。いっぱいに蕾
をつけた庭の桜が、鉛色の空の下で、かすかに動いたようだった。 |