信長の微笑を見ると権六は思わず肌が粟
立 った。彼が考えていたほど相手は単純ではなかったのだ。もしこの席で、これ以上に遺書のことにこだわったら、 「
── わかったわかった」 と軽く手を振られるに違いない。 「──おぬしは愚直な忠義者ゆえ、女子供にもだまされる」 そしてこの場へ岩室殿でも呼び出されては、それこそあとがおそろしい。 「念のために・・・・と、仰せられると・・・・?」 権六は脇
へ冷汗を感じながら生真面目
な表情で信長の顔を仰いだ。 「ほかでもない、さっきの喪のことじゃが・・・・小細工せずに喪を発して、この信長をあなどり、兵を尾張に入れる者があるとしたら、おぬしの考えでは誰と思うか」 「さあそれは・・・・?」 「分らぬか。アッハッハッハッ。胸に手を置き、よく考えてみよ。さあ誰じゃ?」 詰め寄られて権六の額はポーッと赤くなった。いや、権六だけではなかった。信行は石のように堅くなってまばたきもせずにいるし、犬山城の信清も、林佐渡もあきらかに表情を硬
ばらせてゆくのがわかった。 「分らぬか」 とまた信長は笑った。 「わしにはよく分っている。わしはな、尾張一の大うつけと呼ばれながら、そいつらの手の内は、読んで読んで読みつくしたわ。心配するな」 「はッ」 「信長わなあ権六。尾張に乱入されて戦うほど臆病者にも、分別者にも生まれておらぬ。相手の槍が動くと見ると、すかさず躍り入って敵の息の根をとめて来るわ。安心して遺骸を本城に移し、すぐに葬儀の支度にかかれ」 信長がそこまで言うと、それまでじっと眼を閉じていた平手政秀が、 「あいやしばらく・・・・」
と、信長を押し留めた。 「若殿・・・・いや、本日ただ今よりは若殿ではござらぬ、殿でござるが、殿はあのように仰せられる。拙者もまた、備えあれば怖るるに足らず、いずれはとり行わねばならぬご葬儀ゆえ、このままただちにとり行のうて、あとの固めにかかかるが、かえって世の侮りを受けぬ所以
と存ずるが、いかがでこざろう」 静かに一座を見まわした。信長の眼もまたふたたび以前の鷹
にかえって、政秀と供にきびしく一座を睨
めてゆく。 内藤勝助がまずホーッとため息して、 「殿の仰せ、とあらば、従うばかり」 「いかにも」 青山与三左衛門もうなずいた。 四家老の三人が同意したのでは他の反対は通りそうもない
── そう見てとって、当の信行も信長に向き直った。 「兄上の仰せの通りがよろしかろうと存ずる」 信長はぎろッと眼をむいて舌打ちした。信行のこの気の弱さが信長にはたまらなかった。その場の空気次第で自分がない。八方美人でありたいくせに小才と野心だけは持っている。 「では、これからただちにご遺骸は本城へ。そのうえで葬儀万端の手順を」 平手政秀がしずかに決定を宣言してゆくと、うなだれた柴田権六は歯を食いしばって、ポトリ、ポトリと膝へ涙を落としていた。 |