「名古野の若殿が見えられた」 そういうと一座には急にざわめきだした。 この名うての横紙破りがいったい父の死をどんな表情で迎えるか?と、いうよりも、重臣たちの意見にどのような毒舌をあびせてゆくか、それに対する嫌悪
と警戒なのでああった。 枕辺には姉妹も土田御前もいなかった。まだ正式に喪は発さない。重体のまま重臣たちを枕頭に召したという形式だった。 平手、林、青山、内藤の四家老のほかに、織田玄藩允
、同勘解由 左衛
門 、同造酒丞
。それに佐久間、柴田、平田、山口、神保、都築と居流れて、信長の兄弟は信広と信行だけ。それに信長の姉婿の信清がどうしたものか犬山城からやって来ていた。 「若殿、これへ
──」 信長の姿を見ると、まず平手政秀が信行の上座へ信長を招いた。 信長はそれを無視してつかつかと父のそばへ歩み寄り、小腰をかがめて父の額に手を触れた。 その無作法な姿勢を見て、 「若殿!」
と、平手政秀と林佐渡とが異口
同音にたしなめたが、信長は耳に入らぬ様子で、 「これはすでに冷たくなっている!」 と、全部に聞こえる声でひとりごちた。 「極楽
往生 じゃ。なぜ枕を北に変えぬ。なぜ早く花と香とを手向けぬのだ」 「若殿!」 「まだ喪は発してござりませぬ」 「なにッ?」
と信長は眼をむいた。 「死んだものをこのまま放っておいてよいというのか。指図はわしがする。早く遺骸を古渡の本城へ運ぶよう」 「信長どの」 犬山の信清が苦々しげに立ったままの信長を仰いで、 「まずお坐りなされ」
と舌打ちした。 「喪をいつ発するかは、重大なことでござるぞ」 信長はぐっと大きくあぐらをかいた。 「なぜだ?」 「なぜ? もれはまたとぼけた質問。東の今川、西の北畠
、北の斉藤、安全なはただ南の海だけ。古渡の城へ運ぶには異存は無いが、重体のままか、それともただの輿を仕立てて何事もなかった体
によそおうのか」 信長は手を振った。 「必要ない!」 「なに、必要ないと」 「おおさ、そんな小細工に乗る敵か。事実のまま押し通せ」 「兄上」
と信行がひと膝すすめた。 「では父上は、岩室殿と同衾
中にこときれたと世上の笑いものになっても苦しゅうないといわれるか。それで孝道が立つと思
し召すか」 「おお立つともよ信行。武人が戦場で倒れず、畳の上で往生する・・・・得難いコの賜
ものじゃ。愛妾と同衾中とはそれにまた輪をかけている。この上なしな極楽往生。笑う奴は笑うても、心の中では羨望
しよう。小賢 しい孝道などを喜ぶ父か」 「これッ、若殿!」 平手政秀がたまりかねて袖をひいたとき、 「実は・・・・」
と、家老の末席から声がかかった。 「是非ともこの席で、ご披露
しなければならぬご遺言がござりまする」 「なに、ご遺言が・・・・?」 みんなの眼は期せずして声の方に向けられた。発言したのは柴田権六たった。 |