新八郎が馬から降りたので、武士たちの足も自然に止まった。なにか打ち合わせてあったとみえ、甥
も倅 も新八郎一人を残して、どんどん川岸を上流へさかのぼる。 むろん橋まで歩くのではあるまい。と、すれば、いずれかへ渡し舟がかくしてあるのだろう。 新八郎はいかにも人を食ったような様子で、馬から降りると、悠々と水面を眺めて放尿した。 「方々、ご苦労でござったな」 ぶるぶるっと下半身を震わして最後の露をはらってから、彼はゆっくりと槍の石突を地面に立てて、 「帰られたらよろしゅう告げられよ」 武士たちはまた顔を見合った。一歩退くかわりに、ぐるりと小さく輪を作った。 新八郎はニヤリと笑って、その輪の中に取り込められた。 みんなが竹千代のあとを追おうとしないのが、新八郎にはうれしかった。恨みは竹千代の身に及ばず、新八郎一人のことで済んでいる。 「かたがたはこのまま戻れぬといわれるか」 「いかにも」
と一人がまた半歩出て来てぐっと槍の穂先をあげた。 「あえて名は名乗らぬ。名乗るべきでもなかろう。おぬしは立派に主命を果たされた」 「はッはッは・・・・」
と新八郎は笑った。笑いながら涙が出そうでたまらなかった。 城は今川の手に取られ、この後の運命も雨か風かわからぬ孤児の家臣であった。その家臣が、流離の悲嘆を、八歳の竹千代に味あわせまいとして、あえて吐いた暴言であった。 それを相手は、 「──
立派に主命を果たされた・・・・」 という。 その言葉が、単純に喜べるほど彼の心には無邪気な童心が生きている。 「はッはッは・・・・いや、よく分った。このまま戻っては各々方の名が立つまい。お望みに任そう」 こんどは相手の槍はいちどにあがった。と同時に、みな一歩下
がって、輪はひとりでに大きくなった。 「かかる場合に」 と、新八郎はこれも槍をぴたりと胸に構えながら、 「全力を尽くしてお相手するが、礼儀であろうな」 「いうな、小賢
しい!」 「なに、小賢しいと、いま吐
かした奴は誰だ。一歩前へ出よ。おぬしから先に槍を合わそう」 「おれだ!」 さっと穂先を波打たせて、一人の武士が前へ出た。 まだ忠世や忠勝よりも若い、みるからに貧弱な小兵
の若者だった。 「勇ましい奴」 と新八郎はホッと肩を波打たせて、 「しかしおぬし、その構えで、この新八郎が突き伏せられると思ってか」 「いうなッ、勝敗はおれの知ったことではないわ」 「ほほう、勝敗のない戦というのが世間にあるか」 「あるゆえ槍を出している。恥辱を受けたままは戻れぬゆえ、遠慮のう突いて来いッ」 「フーム、すると負ける覚悟でかかって来るのか。なるほど・・・・それもあるかも知れぬな。では往くぞッ」 新八郎の声がぴりりッと冬の空気を破ると、相手はハッと眼をつむった。ジィーンと胸板をつらぬく熱鉄の衝撃を予想して・・・・
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