新八郎の、戦にあけ、戦にくれた生涯の中で、こんなことはかってなかった。 眼をつむった相手の顔が、不愍
とも哀れともいいようのない感じで彼の腕をしばっていった。 繰り出していたらむろん一突きで突く伏せていたに違いなく、それを手もとへおさめて次の者に構える余裕も十分にあったのに、何かが彼をしばって動かさなかったのだ。 案のごとく若者は、眼を開いて槍を動かして、信じられないという表情を顔いっぱいに見せて来た。 「やめた」
と新八郎は言った。 「各々方と突き合うのはやめにする」 「卑怯者めッ。そっちがやめても、こっちで槍がひけるものか」 「わかっている。わしも大久保党の首領じゃ。わかっている」 何を思ったのか、新八郎はがらりと槍を投げ出した。そしてそのまま大地へあぐらをかくと、 「おれは、いま、ふっと人生が分ったわい。人間の一生はな、悲しい意地だとわかったわい。おれは今一生の意地を貫いた。おぬしたちはそれで意地をふみにじられた。よかろう。さ、勝手に突いて、勝手におれの首を持って行くがいい」 取り巻いていた武士たちが思わず顔を見合って、また一歩さがるほど、それはあっさりとした述懐
であり態度であった。 「ただ一つ、おれは各々方に何の恨みもないのだということだけは分ってくれ。おれのはな、竹千代さまへの忠義のほかに何もないのだ。竹千代さまを無事に返してくれた。これでよい。これで満足して、のこのこ地獄へ出かけるわい。さ、突いてくれ」 「よしッ」
一人がいった。 こんどは新八郎が眼をつむった。薄陽
をあびていかにものどかな野人の顔が、荒野を飾る花のように映った。 「覚悟ッ」 と叫んだ。ひやりと空気が動いた。 (これで終りか・・・・) と、思ったときに、槍は新八郎の右の小石をしたたか突きまくっていたのである。 新八郎はびっくりして眼を開いた。 いま槍を繰り出した人の位置にパッと強い色彩で絵に見るような若衆姿の男が立っている。 「おぬしはだれだ?」 と、新八郎はわめいた。 「せっかくの意地比べ、邪魔するなッ」 相手は微かに笑った。笑ったがべつに新八郎を見ようとせず、八人の武士に向かって、しずかに言った。 「今日のことがな、こうなることは、那古野
の若殿がよく見通してのことなのじゃ。ここで相手を突き伏せてはわれらの負けになるのじゃぞ。よいか、いそいで引き揚げよ、信長さまのいいつけじゃ」 そういうと八人の武士は新八郎がいぶかしむほど素直に槍をひいてゆく。 「おぬしはだれだッ」
と、また新八郎がわめいた。 「名は名乗らぬ」 竹之内波太郎はそういうと、いつの間にやって来たのか榛
の木につないであった見事な乗馬の手綱を解いて、 「せっかく、竹千代どのに忠勤をはげまれよ。小さな意地にこだわらず大きなものにな、育ててゆくがおぬしたちの役目のはずじゃ」 そのままひらりと馬にまたがり、八人の武士のあとにつづいた。 大久保新八郎は坐ったままで急に大きくべそをかいた。 鴉がまたガヤガヤと榛の梢にやって来た。
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