大久保新八郎は土下座といっしょに、 「竹千代さま!
竹千代さま!」 と、大声でわめいた。その声に驚いて輿は止まった。 「大久保のじいでがざる。輿の戸をおあけなされて、お言葉を下され!」 群集が眼を丸くして見ている中で、輿の戸は内から開いた。 そして、いかのも屈託なげな丸い顔が現れた。みなりも改めて信長に贈られたと見え、白あやの小袖に葵
の紋がついていた。 「じいか」 と、小さな唇が動くと、 「は・・・・は・・・・はいッ!」 新八郎は、一年半ぶりに見る竹千代を睨むようにして体だけを地面に伏せた。 「竹千代さま!
われらは勝ちましたぞ。お留守中、心を合わせて、誰にも・・・・誰にも・・・・負けはしませなんだぞ」 それだけ言うと、新八郎の顔はみるみる大きくゆがんで、ドッと涙が頬にあふれた。 竹千代のつぶらな眼が、何を感じたのかきりりと大きく見開かれて、刺すように新八郎を見つめている。 竹千代と同じ輿に乗っている阿部コ千代は、武者人形のように堅くなって姿勢を正していた。 「大きゅうなられた・・・・大きゅうなられた・・・・」 「・・・・」 「これで松平家は万々歳じゃ・・・・」 「じい」 「はいッ!」 「涙を拭けよ」 「は・・・・はいッ」 「大丈夫はな、泣かぬものじゃぞ」 「は・・・・は・・・・はいッ」 「信長どのに、馬を貰うて参った。そち引いて来い」 「信長どにに・・・・?」 竹千代はこくりとうなずいて、ぴしりと輿の戸をしめた。 騎乗の武士は二人ともすでに馬をおりtりた。輿はあがった。そしてそのまま山門の中へ運びこまれる。 「お話の馬でござる」 竹千代の馬を引いてきた足軽が、まだ地べたに坐ったまま、茫然としている新八郎に手綱を突きつけた。 新八郎はそれを引ったくるようにして、ギロリとまたあたりを睨み、立ち上がって山門の中へ馬といっしょに消えて行った。 見ていた人は、口々にホッと嘆息して、またガヤガヤと各自の想像を私語しだした。 「なるほど・・・・これはこのはずじゃて」 「どうして、何が?」 「何がといって、戦は織田方の負けじゃっただろうが」 「ははあ」 「負けた方ゆえ、信広さまはあのように粗末に扱われても仕方がないのじゃな」 「そういえばそうじゃ。なるほど、勝った方と負けた方か・・・・」 そうした会話を、群集の一人になった竹之内波太郎は、しずかな表情で聞いていた。 |