一瞬信広は手綱を放そうかどうかと思い迷う様子であった。山門の中へ馬を引き入れてはと考えたのであろう。 その様子を見てとって、群衆の中からつかつかと一人の雑兵
が進み出て、信広の手から手綱をとった。織田方の下士に違いない。 新八郎はギロリとそれをにらみつけたが、さすがに何も言わなかった。 彼は馬を引いたまま信広のあとから傲然
と胸をそらして門を入った。 群集のざわめきはまたひそひそとよみがえった。おそらく彼らの想像を越えた到着ぶりたったからにに違いない。 と、つづいて、西野参道からまた一騎、これは小者にくつわを取らせた人の姿が見えて来た。 「はて、あれは具足をつけていないが」 「ほんに、遊山
にでも来たような」 人々が小首をかしげていぶかしんだのも道理だった。手綱をとった小者は、厳重な足ごしらえで、長刀をかついでいたが、馬上の人物は加賀染めの小袖をまとった、絵に見るような若衆であった。 「まさか、あれが松平」竹千代さまでは・・・・?」 「とんでもないこと、竹千代さまはまだ八つじゃ。やはり先ぶれであろうが」 群集のさざめきの中を、馬上の若衆は涼やかな眼差しで悠々とあたりを見ながらやって来る。 小袖の立派さから考えて、並の身分の者ではないと思われるが、誰もその人物を見知ったものはなかった。 織田家の背後
── というよりも信長の背後にあって、時折り姿を見せる熊の若宮、竹之内波太郎だった。 波太郎は山門の前で馬を降りると、袴のひだを正して、 「熱田からの客人が、間もなく着かれる」 誰にともなくつぶやいて、そのまま群集の一人になった。 「なんだ・・・・あれも見物か」 「そうらしい。が、いったいどこの殿であろう?」 しかしその不審も、続いて路上に姿を見せた竹千代護送の行列を見るに及んで焦点からそれていった。 行列の真っ先に槍一筋、次に野袴姿の武士が一騎。つづいて輿二挺。 輿のあとに竹千代の玩具や身まわりの品の入った長持ちが続き、そのあとに、小者の引いた無乗の馬一頭。 この馬は信長が竹千代に贈った、額にまっ白な三日月を持った栗毛であった。 最後にまた一騎、立派な身なりの武士が殿
をつとめている。 信広を送って来た行列とはあまりにかけ違った様子を見て、群衆はまた「小首をかしげた。 山門の前に着くと騎乗の武士は、 「竹千代さま、到着」 声をかけたが、自分の名は名乗らなかった。 と、その声を聞くと同時に、たたたッと中から駆け出して来た者がある。 群集は
「あっ!」 と思わず声を呑んだ。いきなり前の輿わきに、ぴたりと土下座
した人物が、すぐさっき、小突くようにして織田信広を寺内に追い込んだ、大久保新八郎忠俊だとわかったからであった。 |