当時の寺院はわずかに乱世の緩衝
地帯、世俗の上に危ない地盤を辛うじて維持していた。 今日の笠寺はその習慣に従って織田、今川両家の、矛
を捨てて相会する場所に選ばれた。山門を入ると両家の幔幕
が張り巡らされ、それがはたはたと冬の風に動いている。 山門の前には両家の武士や村人たちが好奇の眼をかがやかしてならんでいた。 岡崎城の幼い城主、松平竹千代と、織田家の長子、安祥城の城主信広の交換という、土民にとっては思いもかけなかった大名同士の悲劇の舞台を見ようとして、 「松平竹千代さなは、まだ八つの子供だそうな」 「織田信広さまはもはや十八歳、さぞご立派であろうが」 山門を入ってしまったのでは彼らの眼には届かぬ。両者の到着と出発とをかいま見て、大名の生活にもまた
「苦痛 ──」 のあるのを知り、わが身の慰めにしたいのであろう。 だんだん群集の数は増えた。さまざまな想像が翼を広げ、やがて巳
の刻 (十時) すぎと思うころだった。 「道を開けえーッ、聞かぬと怪我するぞオー」 とうほうもない大きな声に続いて、東の街道からカツカツと埃
をまいて駆けて来たのは四騎の武者、人々はワーッと声をあげて道を開いた。 真っ先に駆けて来るのは岩乗
一方 の具足に身を固め、きりりと鉢巻で髪を流した逞しい武士。手には槍をひっさげ、大口あいて喚きながら時々その槍を頭上で舞わせた。 次の武者はまだ若い。これだけが鎧下
を着けていながら、太刀も槍も持たなかった。 そのあとに、屈強な二十二、三の若武者二人わずかな間隔で続いてくる。あとの二騎は凍ったような槍をぴたりと右脇につけていた。 「先ぶれじゃ、安祥城からの先ぶれじゃ」 「それにしても勇ましい。いったいあの真っ先の武士は誰であろう」 道を避けながら人々がまたささやき合っている時、 「止まれッ」 山門の前で、真っ先の武士はいきなり馬首をめぐらした、降りるためではなく、馬にタグを踏ませてぐるりと大きく輪をかいた。 次の三騎もそれに習った。 と、真っ先の武士は、また大きく槍をふりかざして、山門の中へどなった。 「今川、織田両家先着の方々に物申す。松平竹千代が家臣にその人ありと知られたる上
和田 の荒武者大久保新八郎忠俊、織田三郎五郎信広を護送して、ただいま参着、山門をまかり通る!」 人々はハッとして信広と新八郎を見比べた。新八郎はそこではじめて馬から降りて、虹
を吐きそうな眼であたりを見てから、 「入られえッ!」 と、信広にあごをしゃくった。 信広は額いっぱいに汗を吹かせて黙って馬から降り立ったが、一瞬よろよろとよろめくと、手綱にすがって一息入れた。 群集はシーンとなって言葉もない。 「入られえッ!」 と、また新八郎はどなった。 |