「岡崎からはどなたをおつけ下さるかな」 今度は政秀がうながした。信広はとにかく弾正
ノ忠 信秀が長子なのである。それに名もない軽輩をつけられては政秀の面目も立たない道理であった。 「されば・・・・これは拙者が・・・・」 と、いおうとして雅楽助は、ハッと一つのことに思い当たった。場所が笠寺の客殿となれば、衣服からして心もとない。相手はどこまでも堂々としてやって来るに違いない。これはいっそ相手の意表に出る人物を遣わすのが得策ではあるまいか。 「されば、この使者、三郎五郎どのを送り届けるまでは虫一匹も近づけられぬ役儀、当方よりは大久保新八郎忠俊をと存じまする」 「なに大久保どのを・・・・」 安の如く政秀の眉は曇った。すぐさっき、平手政秀に槍を突きつけて罵
りせまった新八郎の猪
ぶりを思い出したからであろう。 「大久保新八郎では不服と申されるか」 「いや、不服とは言わぬが、大久保どのの一族とは再度の小豆坂
合戦にて、織田方へも恨みを含む者でござれば」 「それゆえ新八郎が適任と存ずる」 雅楽助はぐっとひとひざ乗り出して、 「その新八郎が恨みを忘れて鄭重に三郎五郎どのをお送り申したら、両家和合のためにこの上ないことと存ずるが」 雪斎がポンと一つ膝
を叩いた。 「なるほど」 と政秀の眉はぴくりと動き、さきいの気まずい表情をからりと捨てて、 「大久保どのならば、当方でもいちばん安堵のできるお方・・・・そうであった。そうであったな」 と、その場をつくろった。 「では日時を」
雪斎がすぐに話を次に移すと、政秀はすかさず、 「明
十日、午 の刻 ──」 と、きびしく言った。 「決まった!」
と、雪斎はまた膝を叩き、 「そのつもりで用意をな」 雅楽助は一礼して座を立った。 大久保新八郎ならば武骨一徹、先君広忠が岡崎の城へ戻る時にも、反広忠派の松平信定以下に、何枚でも起請文
を書いて渡して、 「 ── 主君のためならば、この新八、いくらでも神も仏もだましてやるわい」 そううそぶいて来た男だった。それだけに風雅など心得もなければ通じもせず、また気おくれもあるはずはなかった。がんがんと言うだけは言い、果たすことは立派に果たしてくる男・・・・だがその新八郎忠俊が、果たしてこの使者を快く引き受けるかどうかと、雅楽助は、それがいくぶん心配だった。 果たして
── 待ちかねた一同に十日午
の刻、人質交換と決まった由を告げ、 「当方より信広を送り届ける役、大久保新八、おぬしに頼むぞ」 そういうと、彼は簡単に首を振った。 「ご免こうむる。まっぴらじゃ!」 「とはまた、にべもない。なぜじゃ?」 「途中で胸糞がわるうなったら、わしは信広めをたたっ斬る。たたっ斬っては具合
が悪かろう。おぬしが行け。おぬしがよいわ」 そう言うと新八郎は大口あいて笑い飛ばした。 |