先に立ってゆく禅師に肩に、はらはらと木の葉が散った。 於大は細かに息を切りながら、そのあとから石段を登ってゆく。竹千代を産んだときもきびしい寒さの冬であったが、今度も立春前のお産らしい。 自分の産む子はみなこうして、季節の示すきびしい運命に翻弄
されてゆくのではなかろうか? 良人がもしこんどの戦で討ち死にしたら、産まれ出る子は父を知るまい。と、いって、竹千代をこれ以上、他人の中で放浪させることもむごすぎる 「さ、庭先からお出
でなされ」 禅師はときどき於大を振り返っては微笑しながら、 「奥方は強いお方じゃで、現世の先が見透せよう。事法界では敵味方じゃが、理事無碍
法界では敵も味方もござらぬからの。くよくよと無駄に心を労されぬがよい」 「はい」 「お方が、経文を血書されていると申したら、さるお人がひどく感心なされてな、それではわざわざ訪ねるには及ばなかったかも知れぬと申された」 「さるお人とは・・・?」 「会えば分ろう。ずっと通られい」 「すると・・・・寺宝とか、経文とか申されたは、そのお方のことでござりまするか」 「それそれ、そのこtでござる。経文も人もみなこれ一つ。心がらのすぐれた人は生きた経文。自然はすべて活文章でござろうが」 笑いながら本堂のわきを巡って臥竜松
と名づけられた老松の根方をまわったときに、客殿の縁の障子が内からさらりと開かれた。 於大は何気なくその方を見やって、 「あ ──」 と、思わず立ちすくんだ。 縁に立って、じっとこちらを見迎える、旅姿の尼の、頭巾
からこぼれる目の光にただならぬものを感じたのだ。 (夢ではない・・・・) それはもうこの世で、再び会うことはあるまいと心に決めたわが母、華陽院にまぎれもないのだ。 美貌に生まれついたため、転々と良人を変えなければならなかった薄幸な母。行く先々で父の違った子を産んで、性別死別の悲しみを全身に刻んだ母・・・・ その母が静かな眸に懐かしさをみなぎらせ、数珠
をつまぐりながら立っている。 「何をそのように愕
きなさる。お方さまが、朝夕会っておられたお人ではござらぬか」 禅師はとぼけた表情で口を尖
らし、 「一中一のよい経文じゃ。さ、遠慮のう手にとってお読みなさらぬか」 「は・・・はい」 於大の方は泳ぐように歩きだした。危なくつまずきかけてうちかけを持ち直し、 「母
さま!」 そう呼びかけた声はそのまま少女の日の声であった。 華陽院はまだみじろぎもしなかった。足かけ四年見ぬ間に知恵と忍辱
の光を添えて、しっとりと成人したわが娘の心を見抜こうとするようにじっと呼吸をつめて立っている。 「それそれ脚下
照顧 、あしもとに気をつけられて」 禅師がまたわきから口を出したとき、於大はころがるように縁に駆け寄り、ひしと母の裾
にすがった。 「母さま・・・・」 |