那古野
城内では一昨日この城に到着した美濃の斉藤道三
が娘、濃姫 が、媒酌人でもあり、親代わりにもなっている平手中務
大輔 政秀夫婦に付き添われて、いま大広間へ通ったところであった。 「若はおもどりなされたかな」 と平手政秀は、出迎えた四家老の一人内藤勝助に声をかけた。 「おもどりなされて、いま、しきりに長い竿を振ってござったが」 政秀はうなずいて、 「やれやれ、それでよかった。嫁御寮一人の婚礼になってはと案じていたが・・・・まず安心」 それから濃姫を振り返って、 「若は、少しばかり変わってござる。些少
のことにはお驚きないようにな」 濃姫はたよなげな眼をあげていなずいた。 年は十八歳。斉藤道三はこの姫の才気をこよなく愛していたのだが、今度の婚礼にはまるで他人のように冷淡だった。 自分でわざわざ送って来られる時節ではなかったが、重臣一人つけてよこさず、両家のためにと使いに立った平手政秀に、 「──すべておことにお任せ申そう。わしと織田家の間柄ゆえ」 戦って戦って、戦い続けてきた好敵手の手にはじめから娘一人を捨ててかかる口ぶりだった。それだけに、生まれた城を出るときから濃姫のそばには他人ばかりであった。ただ三人の侍女だけが心のたよりで、自分よりも三つ年下の
「那古野のうつけ者」 に嫁ぐ覚悟をしなければならなかったのだ。 「さ、こうおいでなされ」 信長の居間は京風に改築されていたが、本丸の大広間はいかにも古風な岩乗
一方 の木組みであった。 その正面に、白あやの小袖をまとい、波打つ胸を押さえて坐ると、思わず涙が出そうになった。 美濃まで聞こえた那古野の大うつけ者。まだ見ぬ自分の婿のうわさからは、美しい幻想はわきようがなかった。 「──
とにかくとほうもない大馬鹿者だそうじゃ。嫁いでいったらの、その大馬鹿者の根性をはっきり見究
めさっしゃい」 父の道三は濃姫にこの縁談を承知させるとき、歯に衣
をきせぬ言い方で、 「── しかし、どこかに見所のある馬鹿であろうよ。でなければ織田信秀が、まさか後継ぎにもすえまいでな。わしはおぬしとよい取り組みと思うのだが」 道三もむろん信長に会ってはいない。その言葉を要約すれば、 (そなたは美濃の間者として那古野へ嫁いで行くのだぞ) そうさとしているのだと、姫にははっきり分っていた。 「これッ」 いきなり耳のそばで声をかけられて、小さく坐った濃姫はハッとしてその声の主を仰いだ。 「おぬしが美濃の濃姫か」 無礼な奴。いったいこれは何者であろう!
六尺近い大男が、よごれた脛
をむき出して、いきなり姫の前にどっかと坐ったのだ。 「なぜ返事をせぬ。まさかおぬし唖
娘ではあるまいな」 それが信長の濃姫にかけた最初の言葉であった。 |