〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/04/25 (月) 雪 月 花 (四)

「あの槍を祝いにくれて、返礼に馬をせしめようというのか竹千代」
「竹千代はうなずく代わりに、またひとひざ信長にすり寄った。
「馬を下され。一頭でよい!」
「一頭でよいと・・・・」
「うん、二頭ほしいところじゃが、一頭でよい」
信長はしばらくあきれたように竹千代を見つめていたが、やがてまた、はじけるように笑い出した。
「抜け目のない小倅め。この信長の気性をのみこんでゆすりくさる。負けたわおぬしに。よしよし一頭だけじゃぞ」
「お礼を・・・ありがとう」
竹千代はきまじめに頭を下げた。
そこへ天野三之助がうやうやしく物干し竿を捧げて来た。
「わが君よりのお祝いでござりまする」
「うん」 と言って信長はその竿を受け取り、笑いながら三之助の胸元にぴたりとそれを突きつけた。
「これを槍じゃといいくるめる。この二間以上もある物干し竿を・・・・」
いいかけて、ふと信長のまゆ がしまった。
「三之助」
「はい」
「そなたその太刀を抜いて、この信長にかかってみよ。遠慮はいらぬぞ」
「はい」
三之助はつかつかと縁に戻って刀を取って来た。そしてそれをすらりと抜くと、小さな足を大きく開いて物干し竿の向こうに立った。
「それ、斬って参れ」
信長は窓に腰かけたままだった。ぴたりと竿を水平に構えて、三之助のまわる方向へジリジリと竿を移した。
「えっ!」 三之助が気負った声で太刀を振り下ろした。信長とは程遠い位置で、それは竿に挑む形になる。信長はそれを黙ってパチンと切り落とさせた。
槍を手元に引く代わりにそのまま向こうへ突いて出ると、切られた竿は三之助の胸元へハッシと食い入る理窟であった。
切った三之助が 「あ──」 とうしろへ飛びすさるのと、信長ががらりと竿をほうり出すのと一緒であった。
「竹千代、もらったぞ!」
と、信長は立ちあがった。
「なるほどこれは実戦の武器になる。手槍でのうて、二間 の槍隊を作ってみよう。馬は引き受けた。また会おうぞ」
来る時も唐突とうとつ ならば、帰りもまた疾風しっぷう に似ていた。例の竿を投げ捨てたまま信長はパッと庭に飛び降りると、あとをも見ずに自分の乗馬に近づいた。
逞しい連銭れんぜん 葦毛あしげ逸物いちもつ だった。その手綱を椎の幹から解くより早く、ひらりと信長はまたがった。もううしろの竹千代も意識にないのに違いない。鷹のような目をすえて、
「そうだ、二間柄の槍隊を・・・・」
そうつぶやくとビシッと馬に鞭をくれた。
竹千代はそれを縁から見送った。依然感情は顔にない。が、彼の幼い眼は、焼け付くように信長の乗馬姿にそそがれている。
「馬ができた・・・・馬ができた・・・・」
彼は同じことを二度小さく口の中でささやいた。

徳川家康 (二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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