世の中にうまが合うという言葉がある。信長と竹千代がそれであった。 用心深く人をそらさぬ利発さを持っている竹千代は、時に臆病
にさえ見えながら、そのくせ時々鋭いひらめきをその質問に浴びせて来る。 用心深さは父広忠の死を聞かされて一層つのったようであったが、たくましい覇気
がそのために消え失せているのではなかった。 感情はいつも表に出さなかったが、城なしと呼ばれ、籠の鳥と呼ばれるたびに、その眼に猛々しい光が宿った。それが今日は珍しく言葉になって出たのである。 「そうか。城がなくても、父がなくても大将か」 信長がもう一度楽しそうに笑ったとき、籠の目白はパッと外へ飛び立った。 信長はそのゆくえを眼で追ったが、竹千代は見なかった。彼の小さな脳裡に、わが城へ今川方の総大将が入って来て、やがて織田勢との間に一大決戦が開かれるであろうといわれたその一言が、大きな衝撃を与えていたのに違いない。 彼は、眼の前へ無作法にひろげられた、汚れた信長の両ずねをにらんでいた。白くて毛の少ない、そのくせ隆々とした筋肉の信長の脚であった。 相撲も強い。馬は上手、川干しと鷹狩
と盆踊りと水泳ぎで鍛えているばかりでなく、弓は市川
大介 という達人に、兵法は平田
三位 に、そして新しく鉄砲というふしぎな武器の使い方は橋本
一把 について習っているという・・・・その噂を聞くたびに竹千代の小さい胸は熱くなって波立っていたのである。 (負けるものか!) 気魄
は表に出さないだけにいよいよ内に燃えていたし、三之助相手に、ときどき庭で竹切れを振るときは相手が泣き出すまで止めないほどのねばりも見せた。 「竹千代」
と信長はまた叫んだ。 「うん」 「おぬしが大将であることはな、この信長が一番よく知っている。信長も大将じゃ」 「うん」 「それでおぬし、この信長の婚礼に何をくれる。何か祝え」 竹千代はそっとあたりを見まわした。寒暑の衣類まで生母の於大
の方 から密かに仕送られている竹千代には、贈るべき何物もないのを信長の方はよく知っている。知っていながらからかってゆくのは、この小倅が、何と答えるかが信長にとって面白いからであった。 「三之助」
と竹千代は庭を指差した。それを見て信長は、 「あの竿
、あれは物干し竿ではないか」 「いいや」 竹千代は首を振った。 「あれは槍じゃ。あれは長い長い槍じゃ」 「なにッ、あれが槍じゃと・・・・」 「竹千代はむっつりとした表情でうなずいた。 あるいは怒っているのかも知れないと信長は思った。 「あれよりほかに持たせられなかった。竹千代にとっては大切な槍じゃ。あれを信長どのに進ぜよう」 「ほほう」 「その代わり、お礼に一頭馬が欲しい!
大将には馬がいるのじゃ。馬を下され」 ふいに灼けつくような眼をしてせがまれ、信長は眼を丸くして思わずうなった。 |