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〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/04/24 (日) 孤 囚 の 母 (十)

やがて犬千代の知らせによって平手中務なかつかさの 大輔たゆう 政秀がやって来た。
政秀はいまではこの那古野城の若き 「大うつけ者 ──」 に、林新五郎、青山三左衛門、内藤勝助の三人とともにつけられた四家老の一人であった。
彼は信長の居間へ入って来ると、
「殿にはお支度を」 と命ずるように言い、信長が立ってゆくと、
「佐渡どのよりお手紙がござろう」
と、小さな声で於大に言った。この家老はまた自分の手で育てて来た 「大うつけ者 ──」 の心をぴたりと見通していると見え、久松佐渡の手紙を受け取って読みながら、
「ご助命はわざわざされぬがよい」
と、独言のように注意した。
「ご気性がご気性ゆえ、人に指図されると必ずつむじを曲げてござる。お委せするゆえ、よろしくとな」
於大はこの主従がうらやましかった。うつけ者と見せかけてどこかに非凡なひらめく気禀きひん をかくした信長。真昼の短檠たんけい のようにあえて光らず、そのくせ分別に一分のすきとてない政秀。
「竹千代にもこのような師傳しふ があったら・・・・」
思わずそれを考えたとき、信長はもうつかつかと居間へ入って来た。
「爺 ──」
「はい」
「お身は久松佐渡とはじっこんだったな。内儀は今日、お身のもとへ泊めてやれ」
「心得ました」
「出かけよう。遅くなる。犬千代! 馬をひかせたか」
犬千代は、いつもすねているような面構えで、言うまでもないここと、こくりとした。
「内儀の輿は?」
「むろん、用意いたしました」
「むろんは余計じゃ。馬より先に到着するよう駆けろといえ」
犬千代が心得て駆け出すあとから、信長、於大、政秀の順で玄関へ出て行った。
今度の馬はざれ馬ではなかった。連銭れんぜん 葦毛あしげ のたくましい馬格。それが午後の陽ざしの下でしきりに がきをつづけている。
玄関へかかると、また子供のように走り出して、その馬にまたがった。
「あっ!」 という暇もない。乗るのと駆け出すのとが一緒だった。犬千代は政秀に眼くばされて、これもひらりと栗毛の駒にまたがった。
二条の突風!
だが、誰も驚かない。信長は一切の習慣、礼儀を無視しているというよりも、それら一切に反逆して、自我のあり方を確認しようとしているようであったし、それを許しておく信秀の考え方もいぶしかった。
「いざ、これへ」
信長たちがどんなに気ままに行動しても、政秀は落ち着き払ったものであった。彼は於大を輿に講じ入れると、自分もまた馬にまたがった。そして於大のわきにコトコトと付き添い、城門を出るのである。
於大は急に胸をしめつけられるよな気がして来た。
(三つの時別れた竹千代と、三年ぶりに対面する)
その感慨が心臓の鼓動を早め、のどを渇かせ、眼頭を熱くさせてゆくのである。

徳川家康 (二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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