何をどう錯覚しているのか、ふと八弥を振り返ったお春の眼は悲しいまでに済みきっていた。その眼をぴたりと閉じてゆくともう動かない。黒髪をそっととりのけ、両手を合わした形は哀れに整っている。 八弥はうしろに廻って、すらりと刀を抜き放った。 低い空がしぐれて来て、刀身に霧のような細かい雨がまつわりついた。 「これが・・・・人の一生なのか。許してくれ!」 ぐっと刀を振りかぶって、しかしその手は虚空
ではげしく痙攣 しだした。合掌して、眼を閉じて首をさしのべている姿が、あまりに哀れで振り下ろせない。細い襟足でおくれ髪がかすかにゆれた。 「お春・・・・」 と叫ぶと、姿勢も崩さず、 「はい」
と無邪気な答えであった。 片目八弥はよろよろとよろめいて、ぴしりと刀を鞘
におさめた。 「わしには斬れぬわ・・・・」 だがお春は合掌をとこうとしない。無心な姿の中に、男のためにすべてを捧げて悔いない宿命じみた女の素直さがにじんでいる。 「お春
──」 八弥はとんとお春のそばに両ひざついて、合掌している白い手をそのまま武骨なわが手でつつんだ。 「そなたの素直さ・・・・わしの心・・・・どちらも殿にはわからぬのかなあ」 キリキリと歯が鳴ってそのまま唇はゆがんでいった。太い眉はぴくぴく震え、ぬれたほおへは、せきを切って涙が流れた。 お春はそれをぽかんとうつろにながめている。 (泣くのは女々
しい。泣いていても事は済まぬのだ・・・・) 八弥はひとりで泣いて、ひとりでうなずいてまた立ち上がった。 「お春、来い」 「あい、どこまでも」 「見やれお春、ここから月光庵の墓場じゃぞ。人間はな、遅かれ早かれ、みなこうして土にかえる」 「あい」 「だからな、そなたもここで得心して・・・・」 言いかけて苦笑し、 「得心せぬのはおれであった。お前はそのように素直なのだ」 小さな五輪の間をぬけ、椎
の古木の陰へかかってまた坐った。そこだけが、しぐれをよけて、枯れ芝が乾いた敷物になっている・・・・というより、やっぱり歩く気力もないのであった。 「お春、極楽浄土へいってくりゃれ。浄土にはな、そなたのような素直な心にむちをあてる者はいまいぞ」 お春はこくりとうなずいて、手繰られるまま八弥の胸へもたれていった。プーンと髪のにおいがして、あずけたほおは童女のようにぬくみがあった。 八弥は我を忘れてその首に手をまわした。 「八弥さま・・・・」
と、お春はすがった。どきりとして八弥が顔を見直すと、 「殿」 とあわてて言い直した。 「お春は・・・・仕合せでございます」 「ムーン」 八弥の心へまたむらむらと広忠への憎悪
がわいた。と、同時に、首を巻いたその腕に、ぐっと力が加わった。 |