雨はまだ音もなく降っている。その中へ立ち止まった警護の武士たちは、いつか輿と与三左衛門を取り巻く姿勢になり、現れた曲者
には背を向けている。 そうなってはいかに単純な与三左衛門も、戸田兄弟の謀計に気がつかぬわけはなかった。 「うぬっッ! 謀
ったなッ」 ギリギリッと、輿わきで歯をかみ鳴らし、白刃を伝う雨水を暗の中へ振り切ると、 「だまれ」 と、五郎はまたせせ笑った。 「松平家の警護は潮見坂の仮り屋へ入るまでと決めてある。これからはわれらが分別
で事を運ぶに、何のふしぎがあるものか。ここで争うて、生命
を落とさせては一大事じゃ」 与三左衛門はその五郎にいきなり斬ってかかった。 (死ぬときが来た!) とっさに思い、生命のあるうちには渡すものかと決心した。 五郎政直は危うくかわして、これも刀を抜きはらった。いや、五郎だけではない。与三左衛門の斬りかかるのを合図にしていっせいに白刃の垣がつくられた。 「曲者
か。まいれ」 小さな刀に手をかけて顔を出したのはコ千代だった。と、同時に反対側からも、小さな顔が外をのぞいた。天野三之助がこれもコ千代に負けまいとして右半身をぐっとおとして身構えている。 「おお、勇ましい童たちだ」 警備の武士の輪のあとから、曲者の中の指揮者らしい男が灯りをさしつけて明るく笑った。 「おどろかせて相済まぬ。が、勘弁
せよ。お身たちには決して危害は加えぬからのう」 童たちも、与三左衛門もむろんその顔は知らなかったが、もしこの場に、竹千代の母の於大がいたら驚いて呼びかけたに違いない。 於大の兄たちと親交のあった刈谷の近くの、熊屋敷の当主波太郎にまぎれもない。 波太郎は笑いながら、宣光をかえりみた。二人に眼は弓張りの光の中で複雑にまたたきあった。と、それまでじっと雨の中に立って、五郎と与三左衛門を等分にながめていた宣光は、 「五郎、早まるな」
と、静かな声で与三左衛門に近づいた。与三左衛門は一の太刀をつけ損ねて、もうあらく息をはずませている。 「与三左 ──」 「なんだッ」 「そちは、竹千代の供をしてこのまま尾張へ渡ってくれぬか」 「ウウウン」
与三左衛門はほえるように首を振った。 「拙者の行く先が駿府のほかにあると思うか」 「与三左──」 「つまらぬ口上
は聞く耳持たぬ。加勢がいやなら、さっさと斬れッ」 「与三左、わしは竹千代の伯父じゃぞ」 「だ・・・だ・・・だまれッ。伯父がこのような卑怯
なことを」 「まず静まれ。静まってわしの言うことを聞いてみよ」 「いやだッ!」 「そちはここで犬死して、それで忠義が立つと思うか」 「兄上、斬ろうッ。こいつ、兄上の話などわかる奴ではない」 こんどは五郎の方からパッと与三左衛門に斬ってかかった。
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