竹千代はゆったりとした表情で玄関にすえられた輿に入ると、その向かいに阿部コ千代が乗り込んだ。二人乗ってもまだ輿はすいている。 「三之助、そちも来い」 「はい」
と答えて三之助が輿に入るのを、宣光はニコニコと微笑しながらながめている。 与三左衛門はぐっと胸がいっぱいになった。二十人の大人と、あとに残る五人の童たちは、厳重すぎるほどの警護が付されてある。安心して城内の客になれるわずかな自由が、この律儀
一徹 な与三左衛門にはたまらなくありがたかった。 輿はあがった。 海はもう灰色に煙って暮れ、戸田家の定紋
をうった弓張りが、細い雨脚の中に点々とのびていった。松林を出ると道はひどい赤土だった。ものものしい武装の者も、輿を担ぐ者も足もとを警戒しながら歩いてゆく。 金田与三左衛門も竹千代のわきにあって、これもすべらぬように弓張りの光の輪を見ながら歩いた。そして、そのかなり続いた赤土道が、ふたたび砂地に変わってから、ふと首をあげて行く手を見た。 と、すぐ眼の前に、細雨をとおして、白い波が立っている。みぎわらしい
── と思ったがまだ疑いは起こらなかった。 十分に好意を持った戸田兄弟はともにいるし、警護はこの土地に明るい人々なのだ。 眼の下に槙
の防風林が黒々と塀を作っていた。船小屋かそれとも人家か。意識の隅でそう思いながらたらたらと砂道を下ったときに、 「待てッ」 からたちの生垣
のかげからばらばらッと人影が現れた。 「何者か!」 と宣光が訊いた。 金田与三左衛門はとっさに鯉口を切って、ぴたりと輿を背にして立った。行列は既に停まって、うしろの輿から宣光は立ち出る気配であった。 「何者か?」
とまた宣光が言った。 「この行列は松平竹千代が行列であろう」 闇の中で落ち着いた声が答えた。 「いかにも松平竹千代が、田原の城へ祖母との対面におもむく途中。その輿をとどめさせたのは何者じゃ」 すると相手はよどみない声で、 「われらはその輿をはるばる尾張から迎えに参った織田信秀が船手の者じゃ。あえて事を構えて、竹千代どのの身に怪我があってはなるまい。おとなしく引き渡されよ」 金田与三左衛門は、 「方々
ご助勢を!」 頼む!とあとの声をのんでキラリと刀を引き抜いた。相手の人数はまだよくわからなかったが、味方ほどにいるとは思えない。 ところが、与三左衛門の声をうばうようにして、 「ものども、うかつには抜くな!」 と、五郎がおさえた。 「竹千代はいずれ人質になる体だ。うかつに抜いて命をおとさせようより、素直に渡して無事を図
るが得策じゃ。のう与三左?」 笑う口調で問いかけられて、金田与三左衛門はカーッと全身が熱くなった。 |