潮見坂の仮り陣屋は、急造りとは思えぬほど行き届いたものであった。枡形
を二重に設け、竹千代仮泊の館をかこむ塀裏には桟敷
までがついていた。 大津の船着場からこの陣屋に着くまでの要所要所に、きちんと武装した戸田家の家臣が配備されてあったし、到着を迎える宣光の態度も慇懃をきわめた。 「さすが田原御前のご実家、行き届いたものじゃ」 頑固者の金田与三左衛門までが、いつか心の紐をといたところへ、城中からの迎えであった。 竹千代にとっては義理の祖母に当たる戸田弾正少弼の妻が対面したいという申し入れなのである。 「表向きはとにかく、内実は質でござれば・・・・」 一応は遠慮しようとした与三左衛門も、 「まだ、今川家からのお迎え到着以前なれば、そのお心遣いは無用でござろう」 そばから宣光にすすめられて、つい、竹千代のつれづれを慰めてやりたい気になった。 それに、思ったより入念に作られてあるとはいえ一方は仮り屋である。今宵だけでも城へ入れて休息させるが安全であろうと与三左衛門は考えた。 「では仰せに甘えて」 雨は降りみ降らずに、仮り屋から見下ろせる海面一帯はそこはかとなくしぐれている。ほとんど風は感じられない。それなのに松の梢は魂へしみいるひびきで鳴っている。 金田与三左衛門はふと心に郷愁を感じた。 (いつまた、この若君と会えるのか・・・・?) 変転常ない戦国の世で、送り届けて岡崎へ帰ればまた戦が待っている。自分が討ち死にするか、それとも竹千代君が・・・・そう考えて来ると、竹千代をここで祖父母に対面させてやることは、花も実もある計らいに思えて来た。 仮り屋の灯りがともされたころ、また城中から迎えとして、宣光の弟五郎政直がやって来た。 「父、母ともにお待ちかねでござる。いざお供つかまつろう」 迎えの輿
は二挺であった。が、与三左衛門はそれには不審は感じなかった。 「われらは徒歩
でお供をする。兄上は輿を召されよ」 そういう五郎に宣光は念を押した。 「警護の者は、召し連れて来たであろうな。大切な客人ぞ」 五郎政直は胸をたたいて、 「選りすぐって三十人、地形に明るい濠の者ども、ご心配はご無用でござる」 宣光はうなずいて、 「では、竹千代どのお供は、だれにいたそうかの」 と、与三左衛門をかえりみた。 どぷやら竹千代に、童
一人をつけて城中へ伴なうつもりらしい。 「恐れながら」 と、与三左衛門はいった。 「拙者もお供しとうござる。駿府へご到着までおそばを離れたとあっては役儀が相済みませぬ」 宣光は鷹揚
にうなずいた。 「それそれのこと。さすがは岡崎党に聞こえた与三左衛門が心掛け。今宵は竹千代どのの次の間のとのいはお身に頼むとしよう」 淡泊に承知されて、与三左衛門はあえて不安を感じるすきもなかった。 庭はすでにかがり火が赤い。
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