戸田弾正少弼康光は、今川義元の京風にならって、一時は眉墨
をおいたり、歯をそめたりしたほどだった。 いまも、うわべは今川家への忠誠をよそおっているし、城中での生活も、事毎にみやびを口にしたころの名残をとどめている。 自分の居室にはほとんそ男は通さなかった。 十四、五から六、七までの少女をいつも四、五人側
近くはべらせて、その一人一人に違った匂い袋を持たせておき、 「生きた香合わせじゃよ」 と得意であった。 寝
むときには両側に、違った香りの少女をやすませ、それを不老長寿の秘訣だといいながら、 「実は、それはうわべのことでな、これはみな徳用から来たことじゃ」 ひとかどの経済家気取りで、声をひそめたりするのであった。男たちでは一家を養わせるためそれぞれ相当の禄米がいる。そこへゆくと女子の方が安上がりだという意味らしかった。 彼は手をたたいて侍女を呼ぶと、習いがいつか性になりかけている含み声で、 「そちたちにも話があった岡崎の竹千代どのが、無事に潮見坂の陣屋へお着きなされた。そちたちも存じておろうが、潮見坂は仮の陣屋で何の風情もないところ、それゆえ今宵
はここへ招いて竹千代どのを祖母に会わせる。ただいまこれへお迎えさせるゆえ、用意の膳部をそこつなく運んでおきやれ」 半ばその五郎に言い聞かせる言葉であった。 侍女がうやうやしく一礼して下がってゆくと、 「わかりました。では・・・・」 と、五郎も立った。 やがて入れ違いにこの座敷へそのまま膳部が運び込まれる。 「わしにとっても大切な孫。まだ幼いゆえ、そちたちもよくつれづれを慰
めてな」 ここが竹千代の席、ここが奥方の席、ここが自分で、ここが宣光、ここが五郎と、細かく指図して行きながら、しかし運び出される膳部の料理はひどく心のこもらぬものであった。 そのはずだった。 竹千代が無事にこの席に着くようでは康光親子の計画は画餅
に帰したことになる。ここへ招くといって陣屋を連れ出し、途中で用意の船へ拉致
して、そのまま尾張へ送り届けるつもりなのだ。 膳がそろうと、康光は急にそわそわしだした。松平党にはみやびはわからぬ。その代わり死の恐怖も知らぬ名うての頑固者がそろっている。 選り抜かれてついて来ている警護の武士たちが果たして素直に竹千代を彼の家臣に渡すや否や? 「五郎では心もとないが・・・・宣光がいるゆえ、うまくやるであろうて」 つぶやいて脇息をひきよせ、じっと短檠の灯りをみつめているところへ、お気に入りの侍女の一人がやって来て、 「申し上げます。竹千代さま、潮見坂の陣屋を立ち出
でました由 、注進がございました」 「なに立ち出でたと・・・・それでお供の人数は・・・・」 「お側
小姓二人に、金田与三左衛門さまお一人と申されました」 「そうか金田一人か・・・・」 康光のほおにはじめて会心の笑みがうかんだ。 |