〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/04/08 (金) モ ー ツ ァ ル ト (五)

○『ミサ曲ハ短調 (K.427)』 結婚記念の作品

モーツァルトの未完の作品に 『ミサ曲ハ短調』 がある。モーツァルトの生涯は、大きくザルツブルク時代とウィーン時代に分けられるが、ザルツブルクでは大司教に仕えていたことから必然的に宗教作品が数多く作曲されたのに対して、ウィーンに移って以降は教会というくびきをはずしたために宗教音楽、とくにミサ曲の作曲を作曲する必要ななくなる。事実、ウィーン時代に手がけられたミサ曲は二曲あるが、その内の一曲は自身の結婚式のためのものであり、もう一曲はシュトゥパッハ伯爵からの作曲依頼による 『クレイエム』 である。またこの二作品とも未完成に終わった。
モーツァルトは、父の反対を押し切って、ウェーバー家の提示した結婚誓約書に署名し、三女コンスタンツェとウィーンのシュテファン大聖堂で結婚式を挙げる。
この結婚を記念して作曲された作品がこのミサ曲である。彼は妻コンスタンツェを伴ってザルツブルクに帰郷し、生まれ故郷の教会でこのミサ曲を演奏したいと考え、作曲に取り掛かる。
作曲は1782年8月4日の結婚式の後、同年秋に取り掛かったと考えられている。1783年1月4日付の父宛ての手紙で、 「僕の心の誓いに嘘はありません。これが真実であることは、すでに半分仕上がり、完成を待っているミサ曲が証明してくれることでしょう」 と述べているように、1783年にかけて作曲が進められた。そして1783年10月、モーツァルトは新妻コンスタンツェを伴ってザツツブルクに赴き、10月26日聖ペルテス教会でこのミサ曲を演奏する。しかし、ミサ曲のうち 『クレド』 の楽章は部分的にしか書けておらず、 『アニュス・デイ』 はまったく作曲されておらず、作品としては未完成であった。この初演では妻コンスタンツェがソプラノ独唱を担当し、とくに 『キリエ』 の中間部のソプラノはコンスタンツェのために作曲された。
どうして作品の完成に至らなかったのか、またザルツブルクでの初演において 『クレド』や 『アニュス・デイ』 の重要な楽章の部分はどのように扱われたのか、謎に包まれた作品である。
しかし、仕事で書かなければならなかったザルツブルク時代のミサ曲とは違って、自らの新しい人生の決意の証明として作曲したこの作品は、バッハやヘンデルの作品研究も踏まえた奥深く、荘厳な名作である。

「クラシック 名曲を生んだ恋物語」 著:西原 稔 発行所:講談社 ヨリ
Next