〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/04/06 (水) モ ー ツ ァ ル ト (二)

○ウェーバー家の娘との劇的な出会い

モーツァルトの愛はウェーバー家のアロイージアとコンスタンツェの二人の女性に限られるといってもよい。モーツァルトはどのようなとりえと魅力を感じてコンスタンツェと結婚したのかがよく話題になる。
コンスタンツェは、その後のモーツァルト評伝などにおいて軽薄で無知で、金銭感覚がなく、取るに足らない存在として扱われ、モーツァルトが亡くなった時、霊柩馬車に付き従って墓地まで行かなかったことを捉えて人間性まで否定的に扱われている。
また、彼女との結婚に関して、モーツァルトの父レオポルトが強硬に反対したことも、コンスタンツェを否定的に捉える根拠にされている。世間通で、博学なレオポルトが反対したのは、それ相当のもっともな理由があったであろうというのである。
後世の伝記作家によって、天才モーツァルトに似つかわしくないとされたコンスタンツェであるが、モーツァルトとコンスタンツェとの出会いは劇的であった。コンスタンツェは歌手で写譜屋でもあったフリードリーン・ウェーバーの娘であるが、ウェーバー家は、初期ロマン派の作曲家ウェーバーの親戚筋にあたる。つまり、フリードリーンの実弟のフランツ・アントンの息子が作曲家ウェーバーである。
宗教都市ザルツブルクの閉鎖的な雰囲気に嫌気がさしたモーツァルトは、もっと自分の才能の発揮できる都会での活動を望むようになる。
彼が強い関心を持ったのはマンハイムの宮廷楽団であった。選帝候カール・テオドールの擁するここの宮廷楽団は、ヨーロッパにその名を轟かせた卓越した演奏技巧を誇り、またこれまでにないまったく新しい音楽表現を次々と開拓していった。
たとえば 「マンハイムの打ち上げ花火」 と評された急激なクレッシェンドはこれまで経験したことのないダイナミックな表現で評判をとった。
モーツァルトが強く憧れたのはこのような前衛的な音楽だけではない。ここの宮廷楽団員は、破格の待遇を受けていたのである。モーツァルトが手紙で述べているように彼よりも遥かに凡庸な音楽家ですら、ザルツブルクで彼が手にした給料を上回っていた。

「クラシック 名曲を生んだ恋物語」 著:西原 稔 発行所:講談社 ヨリ
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