〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/04/06 (水) モ ー ツ ァ ル ト (一)

○名残愛と身代わり愛

天真爛漫な自然の愛を生きたのがヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756〜1791)
彼はオーストリアの作曲家で、父はヴァイオリン奏者で、ザルツブルク大司教の宮廷楽団副楽長。モーツァルトは父の指導の下で幼くして音楽の才能を発揮し、少年時代から交響楽やオペラを作曲。 『フィガロの結婚』 や 『ドン・ジョヴァンニ』 、 『魔笛』 などのオペラや、 『ジュピター』 などの交響曲を作曲。音楽のすべてのジャンルにわたって名作を残した。

○モーツァルトの幼児的な愛情表現

モーツァルトは163センチメートルと小柄であったばかりか、顔には天然痘の跡が残り、外見は必ずしもそれほど見栄えがするほうではなかった。
さらにザルツブルクは特に方言の強い地域で、かれのしゃべる言葉は美しいドイツ語ではなかった。
モーツァルトはウェーバー家のコンスタンツエと結婚するが、それまでの彼の女性との関わりは、むしろ子供遊びのような印象を受ける。
ザルツブルクのパン屋の娘のヴローニにモーツァルトは、キスをしてくれたお返しに曲を書いてあげている。。また有名なのは、従姉妹のマリア・テークラ (ベーズレ) との関係である。親戚である気軽さもあるが、彼女に宛てた親しい情愛の文面は読むのも憚られるほどのスカトロジー、つまり糞尿づくしとポルノグラフィーを思わせる内容である。これは軽い冗談の部分もあるが、モーツァルトの性癖でもあった。
ポルノグラフィックな内容のベーズレへの有名な手紙が書かれたのは1778年12月23日、ミュンヘンにおいてであるが、これはアロイージア・ウェーバーとの失恋の予感の中で書かれたものである。
この手紙はこう述べる。
「ミュンヘンに来てくれたら、・・・・あなたのお尻に封印し、両手にキスし、下の小銃で発砲し、抱きしめ、前後から浣腸し、あなたからの借りをすっかり返し、でかいオナラを鳴り響かせ、そしてきっと何かを落とすでしょう。さようなら。僕の天使、僕のハート」
すさまじい内容の手紙であるが、この種のものとしてはまだましなほうで、これをさらに上回る内容の手紙も書かれている。
この手紙は優しい慰めを求めたラブレターであるが、モーツァルトのどこか成長できない幼児的な愛情表現が感じられる。

「クラシック 名曲を生んだ恋物語」 著:西原 稔 発行所:講談社 ヨリ
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