「落ち着いてください
── 私を愛して下さい ── 今日も ── 明日も ── あなたへの憧れは涙に濡れて ── あなたへの ── あなたへの ── 私の命 ── 私のすべて ──
さようなら ──おお ── いつまでも愛して下さい ── あなたを愛する忠実な心を誤解しないでください。あなたを愛するL 永遠のあなたのもの 永遠の私のもの
永遠の私たちのもの」 この手紙は1812年7月6日に、ボヘミヤのテプリッツで書かれたいことは判明している。そして宛先は、ベートーヴェンの日記などに研究から、アントーニエ・ブレンターノであろうという解釈が有力とされている。この手紙が書かれたとき、彼女はフランクフルトの商人フランツ・ブレンターノの妻であった。アントーニエの父ビルケンシュトックはオーストリアの有名な政治家であり、彼女は1798年7月23日、18歳の時に15歳年上のフランツと結婚させられた。この結婚は彼女の意思によるものではなく、父親の指示に従ったのである。 結婚式の当日、式の行われたシュテファン大聖堂の柱の陰で、一人涙を流して立っている恋人がいたとされているが、それがベートーヴェンであったかどうかは確認されていない。 1809年、ブレンターノ一家は、臨終の父親を見舞うためにウィーンに戻り、父の屋敷に住み、1812年まで同地に滞在した。そしてこの時ベートーヴェンとの交流が始まったと見られる。 アントニーエの夫フランツは仕事好きの誠実な人物で、家庭生活には問題はなかったと思われる。また、フランツはベートーヴェンに対して多額の金銭を貸しているが、決して返済を求めず、彼の良き理解者であった。しかし、この
「不滅の恋人」 の宛先がアントーニエであったとすると、彼女には満たされないものがあったのかもしれない。アントーニエの結婚式の当日、柱の陰で涙を流していた人物はベートーヴェンであったのであろうか。また、1812年、32歳のアントーニエが、ベートーヴェンとの新たな愛を決意するほどの何か大きなものがあったのであろうか。 ベートーヴェンがアントーニエ・ブレンターノに献呈した作品は、
『ディアベッツリ変奏曲』 (作品120) であるが、1823年に完成したこの作品にベートーヴェンはどのような思いを込めたのであろうか。 |