〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/04/01 (金) ベ ー ト ー ヴ ェ ン (二)

○「不滅の恋人」 3通の謎の恋文 (一)

愛を語った多くの手紙の中でもとりわけ衝撃的なのが、ベートーヴェンの死後、遺品の中から見出された 「不滅の恋人よ」 と呼びかけた3通の手紙である。第1通は 「(1812年) 7月6日朝」 、第2通は 「月曜日の晩 7月6日」 、第3通は 「7月7日 早朝」 と日付が記されている。
第1通は、 「私の天使、私のすべて、私自身よ」 と書き始めている。
「この深い悲しみはどうしてだろうか、私たちの愛は犠牲を忍び、お互いにすべてを求めない、というのでなければ成り立たないのだろうか」 と問い掛ける。
そして、 「私たちの心がいつも固く結び合っているのなら、このようなことを考えなくてもいいのだが、胸がいっぱいだ。あなたに言いたいことがいっぱいだ」 とつづり、 「私たちがどうでなけらばならないのか、どうなるのであろうか、ということは何もかも神様が決めてくださるでしょう」 と締め括る。
一方的に感情を吐露する恋文とは、明らかにその文体も筆致も異なる。お互いに励まし合い、堪え忍び、しかし、何かもっと大きな力によって愛が阻まれているような印象を与える文章である。ここには愛の強引さがまったく見られないどころか、相手を思い、自らを晒しているような印象も受ける。
第2通は同じ日の夜に書かれた。この手紙の中でベートーヴェンはこう語る。
「あなたは悩んでいる。ああ、私のいるところではあなたは私と一緒なのだ。・・・・あなたと一緒に暮らせるようにする。どんな人生だろう」
そして、この手紙では郵便馬車の集配のことが記されていて、 「土曜日にならないと私の最初の手紙があなたの手に届くことが出来ないと思うと泣きたくなる。どんなに私を愛してくれても、私のほうがもっと強く愛している」 としたためられ、二人の愛が強い信頼で結び付いていることが語られる。この文面から見ると、二人の愛は成就されているように見える。彼の言葉は謙虚で、いたわるようでもある。
そして第3通は、翌日の朝に 「おはよう」 と書き出して記されている。
「床にいるうちから、あなたへの思いを馳せている。私の不滅の恋人よ、運命が私たちの願いを聞き届けてくれるか、と期待しながら、時には嬉しく、時には悲しい。あなたと一つになって生きるか、それとも全く別れて生きるのか」
この第3通は、二人の間に緊急に何か大きなものが迫っていることを語っている。何がしかの判断や決定や宿命が二人の運命を分けようとしているのである。この第3通は最初の2通とは多少、手紙のトーンが変化している。続いて彼はこのように続けている。
あなたに抱かれて魂を精霊の国に送ることが出来るまで、私はさまよう決心をしました。ああ、悲しいことですが、そうしなければならないのでしょう。・・・・こんなにも愛し合っている人からどうして離れなければならないのでしょうか」 そして、 「落ち着いてください、心を落ち着けて、静に深く考えることによってしか、一緒に暮らそうという私たちの目的は達せられないのです」
この手紙では、ベートーヴェンは恋愛を語っているのではなく、一緒に暮らすこと、つまり結婚生活を送ることを語っている。おそらくベートーヴェンとその相手は二人だけの生活をどこかの時点で誓い合っているのである。しかしそれができない大きな障壁を二人ともよく認識している。どうしても結婚生活を送ることの出来ない何かがあったのである。この手紙は相手をいたわりながら、彼女への真心を込めた愛を告白して締め括る。

「クラシック 名曲を生んだ恋物語」 著:西原 稔 発行所:講談社 ヨリ
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