〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/03/31 (木) シ ョ パ ン (四)

○サロンの女主人に溺れるショパン

マリアとの破局の後、ショパンはジョルジュ・サンドとの愛に溺れていく。パリのサロンに君臨するサンドは、マリアとは全く異なるタイプの女性であった。サンドは女流作家で、過去に結婚歴があり、モーリスとソランジュという子供がいた。このサンドとショパンを引き合わせたのはフランツ・リストで、1836年秋のことである。サンドはこの若者との関係を隠すかのように、マジョルカ島に家を借りて共同の生活を始めることになる。可憐なマリアとは全く正反対の、きわめて押し出しの強い、男性的な性格のこの作家との生活は、ショパンの結核の進行とともに精神的にも負担の大きいものとなっていく。

○独占欲の強い女流作家との葛藤
ジョルジュ・サンドは、ショパンの元恋人マリアのことを知る。もともと独占陽の強いサンドは、マリアの存在を強く意識するようになり、ショパンは自分のものであるという思いを露骨に表明する。彼女は1839年6月のヴォイチェフ・グジマウァへの手紙の中で、 「ショパンを獲得するのは誰なのか」 ということを語るのである。少々長いが紹介しよう。
「この若い婦人は彼を愛しようと欲し、また愛さなければならないし、さらにまた愛すべきだと考えていますが、彼女は彼を幸福にするのにふさわしい人ですか。それとも彼の苦しみと憂鬱をいっそう増すようなことになる人ですか。私がお尋ねしているのは、彼が彼女を愛しているとか、彼女がそれに応えているとか、さらにまた彼は私より彼女の方を愛しているとかいうことではございません。彼の心の中でどんなことが起こっているのか、私は自分の感じから判断して、かなりよく分っているのです。彼の性格は大きな苦悩に耐え得るにはあまりにも動揺が激しく、もろいのですから、彼がそのために安静、幸福、さらに命までも失わないためには、彼が忘れるか、私が諦めるかしなければならない、それは私たち二人のどちらなのか、ということです」
このサンドの手紙は多くのことを語っている。
1837年夏にはマリアとの愛は終焉さざるを得なかったのこかかわらず、ショパンはマリアへの愛に深くとらわれ、また愛を追い求めていた。そしてサンドとともにマジョルカ島で時を過ごしている時も、マリアことを思い、またその思いをサンドにも語っているのであろう。ショパンの心の中では依然、マリアは現実の恋人として生きており、そのためにサンドはショパンの愛を得るのは自分なのか、それともマリアなのかという二者択一をこの手紙で問うているのである。彼がマリアを諦めるのか、それともサンドがショパンを諦めるのかということの選択肢は、現実にはありえなかった。なぜならマリアとの愛はヴォジニスカ家の方針として閉ざされていたからである。サンドはショパンを独占した。しかし、二人の生活は10年ともたなかった。やがてソランジュの結婚問題も絡んでショパンはサンドとの生活に深く疲弊し、1847年7月28日、サンドはショパンに別離の手紙を書くのである。
「クラシック 名曲を生んだ恋物語」 著:西原 稔 発行所:講談社 ヨリ
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