ポーランドのワルシャワを出たショパンは、ロシアからの独立を求める蜂起が鎮圧され、失敗に終わったことを知る。この時、ショパンは祖国に戻れる希望を失ったのである。そのようななかで1835年、ショパンはドレスデンで祖国を離れて5年ぶりにヴォジニスカ伯爵一家と再会する。彼はこの時、伯爵の美しく成長した娘のマリア・ボジニスカを見て、深く心を捕らわれるのである。この時、ヴォジニスカは16歳であった。 ショパンはヴォジニスカ一家の子供たちとはワルシャワ時代からよく知っており、もともと気心の知れた仲間であったが、ショパンがマリアを女性として意識したのはこの時が最初であった。 ショパンは別れ際にマリアのアルバムに
『ノクターン変ホ長調』
(作品9-2) の最初の3小節を書いて、 「1835年9月22日、 『幸あれ』」 と書き記す。そしてその二日後に
『ワルツ変イ長調』 (作品69-1) を作曲して彼女に捧げるのである。これが 『別れのワルツ』 と題された作品である。 ショパンに
『ワルツ』 を献呈されたマリアは、パリにいるショパンにこのようにお礼の手紙を書いている。 「フェリックスは私にあなたの 『ワルツ』 を弾くように何度もねだるのです
(あなたがわたしたちに最後にお弾きになってくださった作品です)」 この手紙の追伸に彼女はこのように書き記す。 「馬車にお乗りになる時、あなたさまのノートについておりました鉛筆をピアノ上にお忘れになりました。ご旅行中ご不自由になったでしょうか。とっておいてございます。まるで形見かなにかのように大変大事にしてあります」 二人のほのぼのとした心の触れ合いを見る思いのする手紙である。そしてショパンは彼女に愛を告白するのである。しかしこの愛は彼に深い苦しみをもたらすものであった。 |