〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/03/30 (水) シ ョ パ ン (二)

○マリア・ヴォジニスカへの愛

ショパンの遺品の中に、 「わが苦しみ」 という上書きのある手紙の束がある。これはマリア・ヴォジニスカとその母からの手紙を包んだものである。紐で縛られたこの束は彼のその後の人生において開けられることなく封印された。この 「わが苦しみ」 とは何であったのであろうか。
ヴォジニスカ家はポーランドの貴族で、ショパンは同家の三人兄弟とはワルシャワ中学校時代に寄宿生として共に暮らした。1835年、ドレスデンに同家を訪ね、末娘マリアと会い、彼女に恋心を抱く。彼女との別れ際に作曲したのが有名な 『別れのワルツ』 (作品69-1) である。その後、1836年7月、マリーエンバートで再会し、彼女に求婚する。マリアの母親はこの愛を許したが、1837年夏婚約解消の手紙が彼の許に届けられ、マリアとの関係に終止符が打たれる。 「わが苦しみ」 と上書きのあるこの手紙の束は、この期間に彼が受け取った手紙なのである。この婚約解消はショパンに深い心の傷と苦悩をもたらし、彼の絶望は健康状態の心配と相まってますます深いものになっていくのである。
この短い婚約期間に、マリアとその母、そしてショパンとの間にどのようなことが語り交わされたのであろうか。マリアは、ショパンから求婚されたことを母テラザに報告する。マリアがショパンとの結婚を強く望んでいることは母テレザにも十分伝わっていた。マリアが水彩画で描いたショパンの肖像画は、その絵の素晴らしさだけではなくショパンを強く愛しているその感情が伝わってくる見事な絵である。母テレザはこの結婚を認める。ただし公にはしないという条件をもうける。そして1836年9月14日の手紙でショパンにこのように語る。
「私が申し上げたことを取り消そうなどと思っているとご想像なさらないでください。それどころか、私どもは注意深く守るべき事柄をきめようというのでございます。いっさいが整うまで、健康に注意してください。万事、それにかかっております。・・・・私はあなたの味方です。・・・・両方の感情が試練を受けるには時をかけねばなりません。」

「クラシック 名曲を生んだ恋物語」 著:西原 稔 発行所:講談社 ヨリ
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