〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/02/02 (水) 救国運動としての農協共済 (二)

第一回の 『農協共済事業指導者講習会』 が開かれたのは、昭和二十七年七月十四日からだった。
六日間の合宿講習で、会場は東京都下小金井市にあった浴恩館であった。
この時の受講者はすべて県連職員で三十六名。いずれも共済事業のイロハさえ知らない者ばかりだった。
講師の賀川は、火を噴くような熱弁で、 『協同組合保険論』 を三十六の耳に叩きこんなだ。
「保険会社は営利が目的だ。そのため危険率の高い地域や人間に対しては、保険を勧誘しない。たとえば、ぼろのワラ屋根の農家などは対象にしない。協同組合保険は、そうではない。万人を救うための保険なのだ」
協同組合保険は、利益を社会に還元させることによって、災害を未然に防ぐ機能を持っている。この社会還元機能が、直接的にも間接的にも加入者に利益を与える・・・・これが組合保険なのだ。つまり、協同組合が社会問題の根源的解決に役立つか否かは、保険事業の利益を、いかなる形で社会に払い戻すかにかかっている。 ── 言葉をかえると、今日本は敗戦の痛手にあえいでいる。解決しなければならない社会問題が山積している。この日本を救う根本的な方策が、組合保険であるといえる」
三十六人は前身を耳にして、賀川の言葉を受けとめた。
敗戦の痛手と混乱は、なだ続いていた。
農協共済事業を、農家の救済とともに、敗戦国日本再建のバックボーンにしようというのが、賀川の信念になっていた。賀川らしい力強い発想であった。
『協同組合による救国再建』
『救国運動としての農協共済』
賀川豊彦は各地の農協を歩き、組合員を前にして、農協共済を説いた。
“理想社会” を求めて、労働運動、農民運動、協同組合運動と描いた “巨人” の軌跡がたどり着いたのが、 『救国運動としての農協共済運動』 であったと言えるかも知れない。
「組合員の皆さん、生命共済が全国の農家にゆきわたれば、日本は立派に再建されます。将来、再び日本が打ちのめされるようなことがあったとしても、生命共済がある限り、不死鳥のようによみがえります。私は、それを世界の各国の実例から学んでいます。デンマークもそうです。フィンランドも、スウェーデンも、ノルウェーもそうです・・・・」
「デンマークは北海道くらいの小さな国です。かつてドイツに二回負けました。大変な苦しみを味わいました。 ── そのデンマークを豊かな国に再建させたのが、立体農業と酪農です。砂地にまずアカシア (マメ科) を植え、アカシアの根がチッソを固定させ土を肥やしたら、ブナの木にかえていく。ブナの実は豚の飼料にしました。
一方、酪農は協同組合が育て、酪農工場も経営します。その資金は、すべて共済事業が生み出しました。生命共済が砂山にブナを育て、酪農工場を興し、デンマークを豊かな国によみがえらせたのです」
「スウェーデンは生命共済が育てた、世界一の組合国家です。ノルウェーは漁業国です。漁民の生命の漁船は、国家が保証してくれますが、その金は生命共済が生み出しています。
── ノルウェーもスウェーデンもデンマークも、政治にはあまり金を使いません。村の役場には四、五人の職員しかいません。日本は役所が大きくて立派で、協同組合は、役所の附属物のようですが、それが逆です。役場の方が立派な協同組合のなかに置かれています。それでいいんです。その方が村の暮らし向きは楽になります。役所が大きいと、税金を多く取られる。そこで日本には脱税の専門家がいる。協同組合が大きくなって立派なら、脱税の心配なんかいらんのです」
賀川の説教は、組合員の体に奔流となって流れ込んだ。村に新しい生命をよみがえらせる響きがあった。戦争と敗戦で荒廃していた農村と農民を勇気づけ、希望を与えた。
三十年前の説教であるが、いまの農村でも充分通用する説得力をもっている。賀川の言葉には、時代を超えた “理想の灯” がかかげられていたからであろう。

『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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