「圧迫よ来たれ! 迫害よ起これ! 我等は此処に敢然と起ち上がって、産業の民主を絶叫す。溷濁の空気よ去れ! 自由の空気よ沸き起これ!
我等はあくまでも労働者の自由のために戦わん」 労働運動のトップにたち、第一次世界大戦後の深刻な不況を受けて各地で発生した労働争議の指揮に飛びまわる賀川豊彦は、労働者の自由を求めて、叫び続けた。 労働運動の闘士となった賀川であっても、たまたま新川の貧民窟に帰ると、あいかわらずゴロツキのような男に取り巻かれた。 「先生よ、小説書いて、ガッポリ金がへえったてねえ・・・・。こちとらにもまわしてもらいてえな!」 「俺たちのことを書いて、金儲けしたんだから、俺たちにだって分け前を貰う権利があるぜよ」 空前のベストセラーになった、
『死線を越えて』 の印税を狙った脅迫だった。 ドスを抜き放って脅しにかかるのが松井という暴れん坊だった。十年近く前に賀川のもとに転がり込んだ男だが、一時は神の教えに目醒めたが、いつしか強暴な男に戻っていた。 不況は、更正しようとする男を、ふたたびゴロツキの世界に突き落とす。松井を見ていると、しみじみそう思わずにいられなかった。 こうしたゴロツキを見守る賀川豊彦は、労働組合を指揮する時の
“火のような人間” から貧民たちに深い憐れみの視線をそそぐ “水のような人間” に還っていた。 労働争議の火の手は、その貧民窟がある足元の神戸で燃え上がった。我国の労働運動史を最大級にいろどる、
「川崎造船・三菱造船大労働争議」 であった。 三菱内燃機神戸工場の五百名が労働組合を組織し、 『横断組合の承認』 と 『団体交渉権の確認』 を含む嘆願書を会社へ提出したのは、大正十年六月二十五日だった。会社側は
「嘆願書の形式が整っていない」 と、これをはねつけ、交渉委員をクビにした。これをきっかけに労使関係は不穏になり、労働組合はストライキ状態にはいっていく。 川崎造船では、六月二十七日に支給された賞与と創業二十五周年特別分配金をめぐって労使が対立し、やはりストライキ状態に入っていく。労働者側は
『団体交渉権の確認』 と 『手当支給』 に関する要求書を会社側に突きつけたが、 「社長が不在のため、要求書への回答は出来ない」 と、会社側はつっぱねてしまったのだ。 以上が史上初の大争議へのスタート台であった。 |