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2011/01/14 (金) 大杉栄と対決 (三)

しかし労働者の運動も虚しく、大正八年の第四十二通常議会でも、九年の第四十三回特別議会でも、 『普選法』 は否決された。期待が大きかっただけに、労働者の要求に耳をかさなかった、議会制度に対する幻滅も大きかった。その反動で、 「議会頼むに足らず、直接行動あるのみ」 のサンジカリズムが、労働者の心情をつかみ、労働組合運動の主流になっていく。
とくに関東の労働者への浸透は激しかった。サンジカリストの巨頭、大杉栄の影響であった。
「関東にサンジカリストの大杉あり」
「関西に議会主義の賀川豊彦あり」
二人は天下を二分した労働運動のシンボルになり、当然、いつかは激突する運命に立たされた。
ところで二人には共通点もあった。 「労働者も人格だ」 という点では一致していた。ただし賀川は “人間愛” の立場から、そう把えていたのに対し、大杉は自然主義的な “自由” の立場から、そう把えた。到達する道筋こそ違え、 「労働者も自由なる個人」 という点では二人は一致し、 「自由」 を尊ぶ立場から、二人ともマルクス主義には批判的だった。
「サンジカリズムと議会主義」、 「大杉栄と賀川豊彦」 の激突の舞台は、 『総同盟八周年大会』 だった。大正九年十月三日から三日間にわたって、大阪天王寺公会堂で開かれた。
初日は中之島公園から天王寺に向かってのデモ行進が行われた。楽隊は賀川がつくった労働歌を奏した。ところが先頭を行く関東の代議員は、
「目覚めよ、日本の労働者・・・・」 のかわりに、

「貧婪飽くなき 資本家の
魔の手は長く労働の
成果奪い 貪りて
根幹堅し 資本主義・・・・」
関東のサンジカリスト・麻生久が作詞した労働歌を、声高らかに合唱した。
「こんな過激な歌を歌われては、労働者の示威行動に責任が持てなくなるぞ!」
横を歩く麻生久に賀川は講義した。
「労働者だから激越な歌を歌うんだ!」
麻生はいい返した。
デモの列には赤旗を振る荒畑寒村の一派も、黒旗をひるがえす大杉栄一派もまじっていた。
顔面蒼白となった賀川が、行進の列から飛び出した。
「賀川が消えてしまったぞ。 ── だれか探して来い!」
デモの列は乱れたが、賀川をよく知る西尾末広や村島帰之たちは騒がなかった。
「賀川のことだ。どこかでお祈りして、激情をさましてるさ・・・・」
西尾末広たちの見方は正しかった。しばらくして賀川は帰ってきた。平静に戻った顔で深い光をたたえた目が、祈りのあとを語っていた。
「関東の代議員の宿泊所のことで、打ち合わせして来たよ」
端正な顔は笑っていた。
初日の夜は懇親会が開かれた。大杉栄と並ぶサンジカリストの荒畑寒村が挨拶の指名を受けると、激しくアジりだした。
「資本家と戦う道はただ一つ、直接行動あるのみ!」
つづいて指名を受けた賀川豊彦は、静に応じた。
「過激な直接行動に出るのは、官憲の弾圧を招くのみ。それに、穏健な組合員は離れていくだろう。 ── レーニンださえ、あのレーニンでさえ、こう言ったではないか。 “そろそろと、ゆっくりと、労働組合”・・・・」
この夜の刃合わせは前哨戦だった。
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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