〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/15 (土) 大杉栄と対決 (四)

二日目の会議では真正面から激突した。
『労働組合法制定』 と 『工場法改正』 が議案として提出されると、すかさず関東の代議員の一人が 「動議!」 といって挙手した。
「我々労働者は、ブルジョワ議会は承認していない。法律制定の提案は必要なし。 ── 我々は、断固として、かく叫ぶ。暴力は時に必要である。労働者の解放は、ただ、直接行動あるのみ!」
関東勢からは、割れるような拍手が起きた。関西勢は沈黙した。
賀川豊彦が登場した。
「ただいまのご意見は、労働組合の本質を取り違えています。剣によって起つ者は、必ず剣によって亡びます。労働運動は、一時的な権力闘争ではありません。 ── いま、わたしたちが、資本主義と戦うに当たって、組織を持たないで、初めから暴力でいこうとするなら、その目的を達し得ないのみならず、何ものをも得るところはないと思います」
「議会主義」 を主張し、 「無抵抗の抵抗」 を説いた賀川は、 「日本のガンジー」 の名にふさわしかった。
関東勢はますますいきりたった。
「賀川の無抵抗主義、ひっこめ!」
「ヤソ坊主、でていけ!」
「貧民窟の王様は、労働組合内は必要ない!」
賀川も応戦した。
「君たちの言い分は、自分の手で自分の首を絞めるようなものだ!」
「世迷い言をいうな。貧民窟へ帰って、便所掃除でもしろ!」
この時の状況を、 『精神運動と社会運動』 のなかで、賀川はこんなふうに書いている。

『 ── それで、 「無抵抗による抵抗」 の階級闘争否認説は、罵倒と嘲笑の中に葬り去られた。私は一人ぼっちで嘲笑の中に階級闘争が世界を救う所以でないことを説いた ──』
採決の結果、関東勢に軍配があがった。
「ゼネラル・ストイライキによって、一挙に資本主義の破壊に直進すべし!」
そい決議された。
八周年大会を契機に、労働組合は 『普選運動』 に参加しない方針が固まっていく。同時にサンジカリズムは関西の労働者にも浸透をはじめた。労働運動は直接行動派の全盛時代へと突入していく。
賀川豊彦に対する攻撃は、いよいよ強まった。
「賀川豊彦を、労働界から葬れ!」
カンジカリズムの機関紙は、叫んだ。

天王寺の公会堂で、賀川の 「無抵抗の抵抗」 が罵倒と嘲笑に晒されているちょうどその日、出版界では空前の事態が生まれようとしていた。
遺書のつもりで書いた 『鳩の真似』 が 『死線を越えて』 と改題され、改造社の山本実彦の手で出版されたのが、大正九年十月四日だった。
初版の五千はあっという間に売る切れた。二ヶ月足らずで十六版を売りつくした。百五十版を重ねる空前のベストセラーの誕生だ。
『我国社会運動家の第一人者たる新人賀川豊彦氏が、一大感激の蹴った、堂々一千枚の小説はなる』 『明治大正に亘って、本書ほど多大の感激を与えた小説はあるまい』
『英国のシェクスピアの書の如く、我国の家庭には必ずなくてはならぬ人道的感激の多い小説』
感動的な推薦文が、日本中を駆け巡った。
一方、文学関係者からは 「小説ではなくて中学生の作文だ」 「テニオハもなってない」 といった酷評も生まれた。
だが、 『死線を越えて』 が読者に激しい感動を与えたことは確かだった。
芝居になって上演もされた。関西の生命座では、人気役者の沢田正二郎が主演した。
賀川豊彦の名は、一躍小説家に仲間入りしたが、労働運動、農民運動、消費者運動につぎ込む情熱はいささかも揺るがなかった。莫大な印税は、こうした社会運動に惜しげもなく投じられていく。
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ