議会主義をかかげた労働組合であるならば、労働の柱に 『普通選挙運動』 をかかげるのは当然だった。 賀川豊彦は
『普選運動』 でも先頭に立った。 『労働者普通選挙運動宣言』 は賀川が起草している。 |
『我等は金力による、選挙制度を排斥す。金に買われたる選挙制度の悲惨を見よ。我等労働者は、この金力によれる文化の欠陥を知るが故に、筋肉と、頭脳と正義によれる普通選挙を要求す。生産者は選挙権を要求せざるばからず!』
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当時の労働運動は 『労働組合の公認』 と 『治安警察法十七条撤廃』
を中心に据え、 『普選運動』 にまで手がまわらなかった。そこへ議会主義をかかげた賀川豊彦が登場し、 『普選運動』 も労働組合運動の重大テーマとして華々しく登場させる。 直接のきっかけは、大正八年三月の第四十一通常議会での
『選挙法改正』 だった。この改正で選挙権資格者は国税納付額二十円から、三円の納税者に引き下げられたが、賀川には納得できなかった。 「三円持っているかいないかで、人間は変わりはしない。金は、断じて、人間より勝る存在ではない!」 この怒りを込めて、
『普選の歌』 も作詞する。 |
普選の歌 聞かずや君よ 民衆の 闇になげける その声を 金権世界を 圧倒し 正義人道 地を払い 貧しき者に 自由なく 民は悲しく 影薄し・・・・。 |
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大正九年一月十八日、
『普選期成関西労働連盟』 は、この歌を歌いながら大阪で大デモ行進を行った。 『普通選挙を実施せよ!』 『治安警法撤廃!』 『労働者は奴隷ではない!』 大プラカードが堂々と行進した。 三日前の一月十五日には大日本労働総同盟友愛会は、
『普通選挙を大正十年四月とし、二十歳以上の男子に選挙権を与えよ』 という運動方針を決定していた。 さらに二月十一日には今度は東京の芝公園で演説会と大デモ行進が行われた。主催は
『普選期成・治警撤廃関東労働連盟』 であった。 『当日は風強けれど、己が奴隷的環境より真人間に立ちかえらんとして集まる者無慮三万人。手に手に 「普選要求」
「悪治警撤廃」 「奴隷より人間」 等の旗をかざして、都大路を蜿々長蛇のごとく日比谷公園に入り、二重橋にて君が代並びに普選歌を合唱して散会した。当日の示威運動は実に前古未曾有のものであった』
(『労働者新聞』 大正九年三月) 大示威行動を見守る賀川豊彦の胸中を去来したのは、ニューヨークをさ迷っていた時出会った、労働者のデモ行進だった。 「あれから五年・・・・たった五年・・・・日本の労働者も、プラカードをかかげ、胸を張って示威行進が出来るようになったんだなあ・・・・」 アメリカでの飢えていた日々が思い出された。どこへ行ってもアルバイトを断られた、失業者の悲しみがよみがえった。 |
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井
清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ |
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