〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/13 (木) 大杉栄と対決 (一)

    労 働 歌
目覚めよ 日本の労働者
過去の因習 打ち破り
世界改造 遂ぐるまで
国旗勉励 努力せよ・・・・

作詞者は賀川豊彦である。
労働者は誇りを持ってこの労働歌を歌った。歌いながら、さらに “自覚” を養った。
「おれたちが目覚めたのは、賀川豊彦という指導者が得られたからだ」
「おれはいままで子供に言い聞かせて来た。貧乏人は浮かばれない。望みを持つより、食いっぱぐれがないように、職工としての腕を磨けばいいんだ、と」
「それは間違っていた。いまでは子供たちにこういう。 ── 貧乏人だって望みを捨てるな。おまえたちにだって、天下は取れるぞ!」
総同盟の機関紙 『労働者新聞』 にも、こうした投書が日ごとに増えていった。
「労働者は商品ではない。人間の人格だ」 とする賀川の思想が、労働者に誇りを持たせ、奮い立たせた成果だった。
もともと総同盟の前身の友愛会は鈴木文治のワンマン組織だったといえる。鈴木文治は組合主義に徹した人だった。
「労働組合は労働条件の改善を目的としたものである」
という鈴木に対して、賀川豊彦の主張は異なっていた。
『金以上に、そうだ、賃金以上に我等労働者には要求があるのだ。我等は何よりも先に人間になりたい。我等の要求はただ賃金の値上げだけではない。八時間労働制だけではない。貧乏しても、労働時間が長くてもかまわない。まず人間でありたい』 (『労働者新聞』 ── 『賃金奴隷の解放』 大正七年六月)
鈴木文治の理論は、 「労働者は商品だ」 と規定する、資本主義理論に取って代わる “世界” を創造出来なかった。それに対して 「労働者も人格だ」 と規定した賀川理論には、 “夢” があった。
「労働者も人格であるならば、資本主義に取って代わる “世界” を、労働者にだってつくり出せるはずだ」 と。
労働運動を通じても、賀川はあくまでも、理想社会を追求していた。資本主義から高い賃金を獲得して、労働者が生活向上を計ろうというだけではない。賀川のねらいは、貧乏人や労働者という社会的弱者が、人間としての自覚を持ち、団結し、自分たちの手で社会悪の無い理想社会をつくることであった。鈴木文治に取って代わって、賀川がたちまち総同盟のシンボルになったのも、賀川のこの理論に、多くの労働者が共鳴したからである。
理想社会を切り拓く手段としては、賀川は 「議会主義」 を掲げている。
「教条的なマルクス主義でもない。サンジカリストの暴力革命論でもない。 ── 今日の議会を生産者会議に造り換えるのだ」 というのが、賀川の持論であった。
議会主義を通じて労働者が目指す世界は、 『中央集権的なマルクス主義に対して、中世期の宗教的結社を中心として発達した、ギルド社会主義に賛成する』 (『労働者新聞』 ── 『自由組合論』 大正九年十一月) と主張した。
ロシア革命後、マルクス主義はごうごうと音を立てて流れ込んでいる時であった。労働者のみならず知識人の多くがその流れに乗ろうとしている時、賀川ならではの勇気のある理論構築であり発言であった。それだけに、多くの “敵” もつくっていく。

「サンジカリズム」
十九世紀末から二十世紀の初めにフランス、イタリア、スペインに発生した急進的労働組合主義。労働組合は一切の政党活動を排除し、ゼネストや直接行動で産業管理を実現し、社会改造を達成しようとする立場。
「ギルド社会主義」
サンジカリズムと国家社会主義とを合わせた改良主義で、民主的国家機構のなかに職能別組合、即ち、労働組合、消費組合、教会などを包括する全国的ギルドを設け、生産の管理に当たろうとするもの。
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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