〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/13 (木) 貧民救済から労働運動へ (二)

はる夫人もそうだが、アマリカから帰った賀川豊彦の活動ぶりを見ると、 「獅子奮迅」 の形容がぴったりくる。なにかに魅せられたように、ある計画と実践で飛び回った。事実、賀川は魅せられていた。
暑い日のニューヨークで見た光景が、眼底に焼き付いて離れなかった。十六列横隊の労働者の激流。 『パンを与えよ』 『職を与えよ』 『団結せよ!』 『資本家を葬れ! のプラカードの林立。遠雷の様な労働者の叫び。一刻たりとも忘れることはなかった。
『とても救済などと言うても駄目なのだ。労働組合だ。それは労働者自らの力で自らを救うより他に道は無いのだ。俺は日本に帰って 「労働組合から始める」』 (『太陽を射るもの』)
ニューヨークの光景は、賀川豊彦にこう決意を語らせていた。この決意の計画と実行に飛び回ったのだ。
「労働者による労働者の工場をつくろう。 ── 搾取の無い労働現場を、自分たちの手でつくるのだ」
「イエス団」 は日暮通六丁目に四十二坪の古工場を買った。機械やモーターもあちこちで中古品を買い集め、ボランティアの若者が大八車で運び込んだ。 『共同作業場』 で歯ブラシ製造を始めようというのだ。日用必需品であり、製造に永続性があると考え、歯ブラシが選ばれた。
熟練工を探すことから始まった。毛植の職人が見つかったと思うと、仕上げの職人がいなくなったりして、一本の歯ブラシが出来るまでが容易でなかった。
人間が揃うと、資金が不足した。
「柄にする牛骨を揃えたら、豚毛を仕入れる金がなくなったぞ」
会計係は悲鳴を上げた。
「牛骨と豚毛を少しずつこまめに仕入れよう。足で稼ごうじゃないか」
賀川は提案し、大阪まで一日おきに通って材料を仕入れるという、綱渡りのような経営が続けられた。
「くじけるものか。くじけてたまるか!」
理想社会を求めて賀川は歯を食いしばった。理想社会とは、搾取の無い労働現場で働く労働者の手でつくる社会であった。
曲がりなりにも歯ブラシ工場は運営された。だが労働者の生活を守るには、労働現場の改善だけでは不充分だと賀川は考えた。生活必需品を安く購入することも、立派に労働者の生活を守る道である。そのためには、消費者と生産者を結びつけ、流通による搾取をなくすことだ。消費者が組合をつくって、消費者自らの手で生産者から購入することだ。
── よし、消費組合をつくろう!
考えがまとまると、まっしぐらに突進するのが賀川だった。ただちに計画を練り、実践に乗り出した。賀川のこのやり方や、あるいは消費組合にまで手を伸ばすkとに反対する者もいた。
「日頃賀川さんが唱えている労働組合の強化と、消費組合はつながらないんじゃないか。 ── 消費組合は、労働者の闘争心を鈍らせるおそれがあるぞ」
「労働組合の勢力を、二つに割ることになりはしないか」
こんな意見に賀川はデータを示して反論した。
「東京市の人口は二百二十万人、それに対して五万九百七十八軒の日用品を売る店がある。一軒の日用品を売る店の相手は、たった九戸。これでは共食いじゃないか。小売人は消費者の立場なんか考える余裕はないんだ。消費者が共食いのえさにされてしまう」
少なくとも二百戸に対して一戸の店でなければ、労働者の生活は守れないと賀川は説いた。
発想の裏には、つねにこうしたデータの裏付けがあった。今日の言い方をすると、賀川豊彦は 「コンピューター的人間」 である。
西尾末広や八木信一に相談する一方で、キリスト教関係者に精力的に呼びかけ、大阪でまず消費組合の計画が進められた。大阪市西区に消費組合共益社を店開きさせると、」会員はたちまち千三百人も集まった。だが未知の世界の開拓にともなう苦労は、歯ブラシ共同労作工場同様に深刻につきまとった。
「こんなちゃっちな店を開いたくらいで、理想社会は生まれるかね」
片腕になって伝道運動を進めて来たキリスト関係者からも、こんな皮肉が飛び出した。理想が大きいだけに、店にの構えはちゃちに見え、前途を危ぶむ意見が多かった。
「暴力革命なしに、経済や社会を改革する道は、協同組合の徹底以外にないんだね」
賀川はニコニコ笑って反論した。理想と現実の店の間にいかに大きな開きがあるかは、賀川自身が最もよく知っていた。だからこそ理想はより大きく持ち、ちゃちな現実の店に限りない愛着を覚えた。
── “地の子” となるためには、太陽を射なければならんのだよ・・・・。
ちゃちな店は、モント・クレア公園に建っていた銅像の子供である。渾身の力を込めて、弓を射ようとしているのだ。

『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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