〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/12 (水) アメリカでの体験 (五)

「乞食に食べ物を与えたり、行き倒れ病人を施療するだけは、貧民問題は解決つかない」
「貧民・労働者・・・・そうだ無産者たちが手を取り合って、自分たちを解放するために、起ちあがらなければならないんだ」
「それにはどうするか・・・・労働者は団結するんだ。一人ひとりは弱者であっても、組織として結びつけは、強い力になる。みずからを解放する力になるんだ!」
賀川は自問自答を繰り返しながらニューヨークからミシシッピー平原をさまよい、カナダ国境のナイアガラの滝近くまで流れ歩いた。ナイアガラの眺めは素晴らしかった。自然の偉大さと美しさに打たれた。ともあれ、職を探し、食にありゆかねばならない。
やっと給仕人の職にありついても、泥棒猫のように主人に追い立てられも下。 「おれたちの職場を奪うな!」 と無頼漢に襲われ、袋叩きにも出会った。
ようやくシカゴにたどりついたが、収入の途はみつからず、あこがれの大学は遠くから眺めるだけだった。
胸に痛みが走った。咳が激しく出るようになった。シカゴの乾いた空気は、傷跡を持つ肺にはきびしすぎた。
── 日本へ帰ろう・・・・。
向学の念を断ち切ったが、故国へ帰る旅費もなかった。貧民窟の懐かしい顔が浮かんでは消えた。このままでは、異国の地で朽ち果てねばならない。なんとしてでも、日本に帰りたい・・・・・。
旅費稼ぎに飛び込んだ所が、ユダ州オグデンの <日本人会> の事務所だった。書記の役が与えられた。事務所の二階で書類に目を通すと、異国の地に渡って来た日本人労働者の生活資料であった。
一時の資金稼ぎのつもりで飛び込んだ仕事であったが、賀川の目が輝き出した。書類には賀川の知らない生活が綴られていた。未知の姿の貧民がいたのだ。異国の地で開拓に従事する同邦労働者という貧民である。
西部の砂漠のど真ん中にある、小さな町がオグデンであった。海抜百千二百八十九メートル、冬は雪に閉ざされた。過酷で悲惨な同邦労働者を考えると、賀川は胸の痛みも忘れた。
こうなったら、とことん調べてみようと、飯場巡りも買って出た。馬橇に乗って幾十哩も走りまわる仕事だった。砂漠の中の銅山では、家畜小屋のような飯場にも泊まった。ベヤー・リヴァの流域では、密林の中の丸太小屋にも泊まった。
厳しい労働条件とはげしい望郷の念が織り成す異国の労働現場を見るにつけても、賀川の中で労働者組織化の野望が膨れ上がっていく。このような労働現場では、労働者が孤立しては、自然の暴威と資本家の搾取によってひとたまりもなく、ひねりつぶされるだろう。
なにはともあれ、日本人労働者向けの小さな新聞を発行した。紙面で賀川が説いたのは、 「神の愛」 であった。そこから 「人間愛」 を引き出し、 「人間らしさの回復」 を説いた。それは 「労働者の自覚」 についても訴えであった。 「人間は資本の前に一個の物であってはならない。労働者は人間であることを自覚し、団結せよ」 と訴えた。

『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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