〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/11 (火) アメリカでの体験 (三)

プリンストン大学で実験心理学と数学を学ぶ賀川は、大学寄宿舎からプリンストン神学校へも通った。二つの学校の掛け持ちであった。
新学校の生徒には毎月二十五ドルの奨学金が支給された。だが神学校で学ぶ課程はすでに日本で修了している賀川は、もっぱらプルンストン大学の博物館や図書館に通った。猛勉強ぶりは明治学院時代と変わらなかった。食事の間も惜しんで、読書三昧の生活を送っている。
初めての夏休みに、アルバイトを求めてニューヨークに出た。空を突き刺す摩天楼に目を見張ったと同様に、新川の貧民窟同様の黒人街にも目を見張らされた。
いくら歩き廻っても、職は見つからなかった。欧州戦争の影響で世界一の大都市も不況の底に沈んでいた。
「アメリカ人だって職が無くて困ってるんだ。日本人なんか雇えるもんか!」
どこへ行っても追い返された。 “失業者の悲しみ” をいやというほど味あわされた。
やっと給仕人の職が見つかったのは、ニューヨークから二十マイル離れたモント・クレアの町であった。皿洗いや食器運びにこき使われた体を休めたのが、モント・クレア公園である。
巨木の植込みと芝生の配置が美しい公園の片隅に、美術館があった。美術館の前には大きな銅像が建っていた。賀川の足は、いつも銅像の前で釘付けされた。
アマリカ・イオンディアンの少年が太陽に向かって弓を引いて立ち、かたわらで父親がじっと見守っている像だった。有名な彫刻家アクネーアの作である。
像に見入る賀川の体には、鮮烈な感動が噴き上げた。
酋長となって地を継ぐためには、太陽がどれほど遠くにあろうとも、 “地の子” となるために射ねばならない。輝く太陽という理想世界を射ることによって、地の上に理想世界をもたらすことが出来る・・・・。父子の像はそう教えていた。
「私も “地の子” となって、大地の上に理想社会を築きたい。 ── 理想社会の建設に邁進するぞ!」
賀川豊彦の生涯を考える時、モント・クレアの像の前で誓った 「理想社会」 とは、万人の幸福を願う 「協同組合社会」 であった。地上での理想社会を求めて、貧民救済、労働運動、農民運動とさまよった賀川が、最後に到達したのが、 「一人は万民のために、万民は一人のために」 の協同組合社会である。

『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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