神戸新川の貧民窟に、日本で始めてのセツルメントができようとしていた。 セツルメントとは、貧しい人が多く住むところに定住し、貧しい住民と親しく触れ合って彼らの生活の向上に努める社会運動で、そのための宿泊所、授産所、託児所などの設備である。欧米ではこの運動は盛んであったが、日本には存在しなかった。 あるという伴侶を得た賀川豊彦は、日曜学校、路傍伝道から、簡易食堂、施療、職業紹介、無料宿泊、それに労働者の若者や娘を集めての夜学校、裁縫学校などと社会事業を広げていった。もちろん夫婦だけの活動ではなかった。武内勝などの献身的な奉仕も加わっていたし、なにとりも力になったのは、アネリカの篤志家から毎月送られてくる五十ドルという援助資金であった。 貧しい人たちへの奉仕活動が、いかにたいへんなものであるかは、がる夫人の体が如実に語った。結婚したあと頬からはさわやかな赤味が消え、体は痩せ細った。南京虫の食い跡が斑点となって残る肌はカサカサに乾き、冬になると手足はあかぎれが口をあけた。 そんな妻を痛ましいと思いながらも、貧しい者に一生を捧げた運命を考えると、夫の賀川豊彦はひたすら痛ましさを見守る以外になかった。 ──
いつか立派なセツルメントをつくる。それまでは我慢してくれ、はる・・・・。 ところが夢が破れるのも早かった。 結婚してから九ヶ月たった大正三年二月、アメリカからの手紙を読んだ賀川の顔色が変わった。 「はる、大変なことになった。ジブリーさんからの送金が、四月で打ち切られる」 「えっ!
まさか・・・・」 指のあかぎれに膏薬を塗りこんでいたはるは、絶句した。 ジブリー氏はジョージア州のアトランタ郊外に住む煉瓦会社の重役で、二年前から毎月五十ドルを送ってくれた篤志家である。 「不景気で、ジブリーさんの事業も思わしくないんだろうよ・・・・」 賀川夫妻は目と目を見つめ合った。 貧乏のどん底にいた賀川勝彦にとって、アメリカからの送金打ち切りは、命綱を断たれたに等しかった。セツルメントの事業は大幅に縮小しなければならなかった。 ──
神よ、私は何をすべきだろう・・・・。 賀川は祈った。すると持ち前の負けじ魂がむくむく首をもたげた。破産、一家離散、病気・・・・何度か “死線” をくぐり抜けて来た賀川豊彦のど根性は、挫折感を新しい生命にかえて、ふつふつ燃え上がった。 「これも、神の思し召しだ。イエス団の仕事は武内たちに頼み、私はこの機会に新しい勉強をする」 「でも、あなたは、いままでに立派な勉強をなさってきたのに・・・・」 「アメリカへ渡るんだ。日本では出来なかった、新しい勉強が出来る。
── そうだ、はる、おまえもこの機会に勉強するんだ」 「あたしも!」 はるはびっくりしたが、耳たぶを染めてうつむいた。高等教育を受けていないはるは、賀川から中学生クラスの数学や英語などを教わっていたのだった。 「でも、資金が・・・・アメリカへ行くとなると、旅費が大変でしょう」 「なんとかなる!
── アメリカで博士号を取り、金も稼いでくる。その金でこの新川に新しい医療施設をもった病院を建てるんだ。 ── そうしよう、はる」 賀川はあかぎれだらけの妻の手を握りしめた。 |