〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/10 (月) 乞食親分の結婚式 (四)

やはり貧民窟の一角の吾妻通二丁目に、福音印刷会社があった。賀川がその工場へはじめて足を踏み入れたのは、明治四十四年の夏であった。
布引教会の竹内宗六牧師に連れられて印刷工場の集会所に入ると、七、八十人の男女工員が集まっていた。彼らの目は、牧師が連れてきた青年に一斉に注がれた。
青年のりりしい顔立ちに注がれた目ではなかった。裾の破れた袴と、よれよれの着物にびっくりしたのだ。きっちと分けた頭髪と、澄んだ目が泣ければ、貧民窟の大道芸人である。
紹介を受けた青年は、すっくと立った。
「わたしは新川の貧民窟に住む、乞食の親分であります」
娘たちはキャッと叫んだ。
「いいぞ、親分!」
若者たちは拍手した。
「さあ、みなさん、元気な声で歌いましょう」
オルガンが鳴ると、乞食の親分は小さな体を反り返らせて両手を振り、賛美歌の音頭をとった。

「誰ぞまことの ますらをなる
神をおそれて 世をおそれず
人にたよらで み手にたより・・・・・」
乞食の親分は、澄んだ声で歌った。
「さあ、一説ずつ練習していきましょう」
指揮者の熱気に引き込まれ、娘たちの合唱に力がこもった。
芝はるも大きく口を開いて歌った。
賛美歌の練習が終わると、ざわめきが起こった。
「歌を教えた先生は、黒人の子だねん。あの先生のところには、時々青い目の異人さんが出入りしてるんよ」
「ちがう、ほんまの乞食や。いつも乞食が出入りしてるもん・・・・」
芝はるもそんな仲間にはいっていた。
この日を契機に賀川は、印刷会社へ賛美歌の先生として通うようになる。
「乞食の親分さんて、おもしろい人ね・・・・」
芝はるには、はじめのうちはそんな印象しか残らなかった。
翌年の秋の日曜日、芝はるは三宮へ好きな芝居を観に出かけた。ところが生憎大入りで札止めになっていた。行く当てを失ったはるが、ふっと思い出したのが、賀川の顔だった。
夏に一度だけ賀川の説教を聞いていた。賛美歌を教えに来たのだが、その日は説教をする牧師が休んだため、賀川が代わりをつとめたのだった。
賀川の説教には熱があり、はるの心をしっかりとらえていた。
── あの先生は、日曜日には貧民窟の四ッ辻で説教をしていると言ってたけど・・・・。
芝居小屋を離れたはるの足は、いつの間にか生田川を渡り、新川の貧民窟に入っていた。
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
Next