「貧民窟」 の先生は、貰い子殺しや病人の世話や、夫婦喧嘩や、博徒の喧嘩ばかりに明け暮れていたのではなかった。 二畳と三畳の間をぶち抜いて、そこでは神戸神学校の学友たちが手伝って、日曜学校も開かれた。もちろん路傍伝道も続けていた。こうして賀川の周辺に集まる人たちが次第に多くなるにつれ、説教の場である教会が必要になった。 近所に六畳一間の家が借りられた。いうまでもなくみすぼらしい家だが、それが最初の教会になった。ぼろ屋の教会は後に組織される
「神戸イエス団」 の拠点に成長していくのだ。 神の弟子もぼつぼつ生まれた。賀川の弟子である。 武内用三という大道易者が弟子になった。 賀川に心酔した大道易者は、筮竹をもみながら、商売そっちのけで相談者を説く。 「あんたは、色々な不幸を背負ってなさる。あんたを救えるのは、新川の先生だけじゃ。ぜひ教会へ行って、賀川というえらい先生の説教を聞きなされや・・・・」 武内易者には二人の息子がいた。貝ボタン工場の職工だった。ある日、武内は賀川に頼む。 「ボタン工場には、九人も職工がいるそうじゃ。不景気のため、若いもんは生甲斐もない生き方をしているらしい。
── 先生、ひとつ工場へ出向いていって、若いもんの話し相手になってくれへんか?」 賀川豊彦は貧民窟の一角にある小さな工場へ、喜んで出かけた。貝の屑で真白になっている工場内部を見るのは、初めての経験だった。労働環境が悪い上に、職工の月給が安いことも知った。 「きみたち、日曜日にはうちの教会へ来ないか。そこなら、ゆっくり話が出来る」 職工たちは尻ごみした。 「おれ、ヤソ教には縁がないもんなあ・・・・」 「みなさんが読みたい本も揃ってますよ」 熱心に勧められて教会を訪れた若者は、びっしり並んだ本に、びっくりする。 「これ、みんな先生が読むんですか?」 「読書は、世の中の仕組みを教えてくれるだけでなく、人間もつくってくれます。諸君も、ぜひ本を読むべきだ」 「だけど、こんなむずかしいの、読めへんわ!」 「読めるように、私が教えましょう」 賀川は中学生用の国語や英語の古本を取り寄せ、若者たちのために学習塾も開いた。 日曜学校はそれまでは子供や屑拾いの集まりだったのが、若い労働者も出入りするようになって活気づいた。 「わいら屑拾いは、最低の生活しかできへん」 屑拾いが言うと、 「われわれのような、底辺の労働者もおなじや。やっぱ、希望なんかあらへん」 貝ボタン工場の職工が応ずる。 説教も忘れて賀川は耳を傾けた。 ──
これはたいへんなことを教えられたぞ・・・・。 賀川は 「貧民と労働者は別だ」 とそれまで考えてきた。貧民窟に入り 「貧民救済」 を思い立ったときの賀川には、貧民の概念の中に労働者は入っていなかった。 ──
こいつあおかしいぞ。屑拾いと職工の話を聞いていると、二つの立場にそんなに違いはないじゃないか・・・・。早い話が、ここにる職工が病気になったら、たちまち貧民窟の住民になるだろう。そして彼らも貰い子殺しをやるかもしれない・・・・。 それは社会運動家としての賀川豊彦を方向付ける発見であった。だがこの時の賀川の目の中には、まだ農民は浮上していなかった。 屑拾いと議論する職工の中には、易者の息子の武内勝もいた。武内勝は賀川がもっとも愛する弟子になり、後年は
「イエス団」 の中心になって活躍する人物である。 |