〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/06 (木) 乞食親分の結婚式 (二)

貧民窟の冬だった。
「先生、うちの子供が死んでしもうた。葬式を出してやってくだせえ」
中年の女に頼まれて香川豊彦があばら家へ出かけていくと、やはり貰い子だった。
座布団にくるまった幼い遺体は、まるで泥人形のように汚れたままだ。頭にはかさぶたが盛りあがり、目もつぶれている。変死に近い状態だった。
「医者に死体検診をしてもらいましょう」
医者は呼ばれた。ところが汚い畳に上がろうとはしない医者は、庭からのぞきこみ、
「なるほど・・・・これは栄養失調じゃ」
ついに死体には触れずに死因が書き込まれていく。貰い子の死因が伝染病であったとしても、すべて 「栄養失調」 と相場が決まっていた。
ここでの医療は仁術どころか、算術以前の “社会悪” の共犯者に近かった。
後に農民を “医療地獄” から解放するための組合医療の確立を叫ぶ賀川豊彦の目は、この時の医者の対応ぶりを、怒りを込めて見つめていたはずである。
「このうちじゃあ、貰い子殺しが、これで三べん目だあ」
近所の女衆が袖を引き合ってささやいているのを、賀川は体を硬くして聞いた。
貰い子殺しはしょっちゅうおきた。殺しても、葬式を出せない家の死体を片付けるのが 「おいべろう」 と呼ばれる男である。幼い遺体をミカン箱に詰めて背負い、春日野の火葬場へ運んでいく。
「おーい、おいべろうが今日もまた、貰い子をしょてくぞう!」
ミカン箱を背負った死体始末人の尻を、いたずら小僧たちは竹棒でつっついた。
乳も出ない老婆が、貰い子をしては殺していたのが見つかり、警察に捕まるという事件が起きた。
賀川は警察へ駆けつけた。老婆は死にかけた赤子を膝に乗せて調べを受けている。息を引きとるのも間近に見える赤子だった。
「かわいそうに・・・・この子は、私が育てましょう」
賀川が赤子を抱き寄せると、
鬚をはやした警察署長が皮肉を言った。
「先生が、貰い子をするんですかい?」
貧民窟の住人ではあるが賀川はまだ神戸神学校の学生だった。しかも生憎試験のときである。だが、赤子を引き取り、試験勉強をやりながら必死に育てる。

おいしが泣いて、目が醒めて。
襁褓むつ を更へて、乳溶いて、椅子にもたれて、涙くる。
お石を拾うて、今夜で三日三晩、
夜昼なしに働いて、一時ねると、おいしが起こす。
お石を抱いて、キッスして、顔と顔とを打合わせ、
私の眼から涙汲み、おいしの眼になすくって・・・・。
「あれ、おいしも泣いてるよ、あの神様、おいしも泣いています!」
子育てを歌った賀川の詩である。生命の尊さと美しさが、読む者の胸を打つ。
おいしは後に生みの親の手に戻った。小学校へ通うようになったおいしの姿を、賀川は物陰からそって眺めた。
「元気な子に育ったなあ・・・・」
わが子に再会した父親のように、頬を涙で濡らしながら、賀川は微笑んだ。
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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