貧民窟の冬だった。 「先生、うちの子供が死んでしもうた。葬式を出してやってくだせえ」 中年の女に頼まれて香川豊彦があばら家へ出かけていくと、やはり貰い子だった。 座布団にくるまった幼い遺体は、まるで泥人形のように汚れたままだ。頭にはかさぶたが盛りあがり、目もつぶれている。変死に近い状態だった。 「医者に死体検診をしてもらいましょう」 医者は呼ばれた。ところが汚い畳に上がろうとはしない医者は、庭からのぞきこみ、 「なるほど・・・・これは栄養失調じゃ」 ついに死体には触れずに死因が書き込まれていく。貰い子の死因が伝染病であったとしても、すべて
「栄養失調」 と相場が決まっていた。 ここでの医療は仁術どころか、算術以前の “社会悪” の共犯者に近かった。 後に農民を “医療地獄” から解放するための組合医療の確立を叫ぶ賀川豊彦の目は、この時の医者の対応ぶりを、怒りを込めて見つめていたはずである。 「このうちじゃあ、貰い子殺しが、これで三べん目だあ」 近所の女衆が袖を引き合ってささやいているのを、賀川は体を硬くして聞いた。 貰い子殺しはしょっちゅうおきた。殺しても、葬式を出せない家の死体を片付けるのが
「おいべろう」 と呼ばれる男である。幼い遺体をミカン箱に詰めて背負い、春日野の火葬場へ運んでいく。 「おーい、おいべろうが今日もまた、貰い子をしょてくぞう!」 ミカン箱を背負った死体始末人の尻を、いたずら小僧たちは竹棒でつっついた。 乳も出ない老婆が、貰い子をしては殺していたのが見つかり、警察に捕まるという事件が起きた。 賀川は警察へ駆けつけた。老婆は死にかけた赤子を膝に乗せて調べを受けている。息を引きとるのも間近に見える赤子だった。 「かわいそうに・・・・この子は、私が育てましょう」 賀川が赤子を抱き寄せると、 鬚をはやした警察署長が皮肉を言った。 「先生が、貰い子をするんですかい?」 貧民窟の住人ではあるが賀川はまだ神戸神学校の学生だった。しかも生憎試験のときである。だが、赤子を引き取り、試験勉強をやりながら必死に育てる。 |