〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2011/01/06 (木) 乞食親分の結婚式 (一)

貧民窟での生活は、人間の様々な生き様を賀川豊彦に教えた。
のちに労働組合運動、農民組合運動、産業組合運動、農協共済運動へと突き進んでゆく賀川にとって、理想社会を求めての “社会悪との戦い” の原体験の場が、貧民窟での生活であった。
貧民窟の生活は、途中のアメリカ留学をはさんで十年間に及ぶが、賀川は 『貧民窟十年の経験』 を 『人間苦と人間建築』 のなかで語っている。

『最初の印象 ── 私の第一の驚きは 「貰い子」 の多いことでした。私は最初の年に葬式をした十四の死体中、七。八以上はこの種のものであったと思います。
それは貧民窟の中に子供を貰う仲介人が有って、そこへ口入屋あたりから来たものと思えます。
そしてその仲介人を経て次から次へと貧乏窟の内部だけで、四人も五人もの手を経ております。それて初めは衣類十枚に金三十円できたとしても、それが第二の手に移る時には金二十円と衣類五枚になり、第三の手に移る時には金十円と衣類三枚、第四の手に移る時には金五円と衣類二枚位で移るのであります。これというのも現金が欲しいからで、それが欲しいばかりに、段々にいためられてしまった貰い子を、お粥で殺して、 「栄養不良」 で届出すものです。
病人の世話 ── 最初の年は、病人の世話などする気はありませんでしたが・・・・一ヶ月五十円で百人の貧乏人を世話することに定めていたのでした。然し来る人も来る人も重病患者であるには、全く驚きました。私は病人の中に座って、悲鳴を上げました。
賭博 ── 博徒と喧嘩はつきもので、私は <ドス> で何度脅迫されたか知れません。欲しいものは勝手に取って行きます。質に入れます。然し博徒と淫売婦とが、全く同じ系統にあることを知って驚きました。
淫売の亭主が、その女の番人であるのには驚きます。そしてその亭主は、朝から晩まで賭博をしているのであります。
淫売の標準 ( 「理想」 ── 引用者) は芸者で、博徒の標準は旦那であるのだ。芸者も旦那も遊んでいて食える階級である。もし貧民が遊んで反社会的なことをして悪いというなら、芸者と旦那をまず罰せねばならにのである。此処になると私はいつも、社会の罪悪が今日の産業組合の根底にまで這入っていることを思うので・・・・説教する勇気を持たないのいである』
『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井 清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ
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